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遠大な計画

ひょんなことから盆栽を始めた。今から4年前の話である。盆栽を始めたきっかけは覚えているが、どういう過程を経て今のように熱心になったのかよく覚えていない。いつのまにか熱心な「盆栽愛好家」になった。ただ、私の場合は、高価な盆栽は一つも持っていない。愛好家が見れば笑ってしまうような盆栽、正確に言えば盆栽とは言えないようなそんな代物ばかりである。単なる「木」である。傍から見れば、そんな木に対してなぜ熱心に手入れをしたり、水遣りをしたりするのか不思議に感じているようだ。家族がそうだし、なによりも私自身がそう思っている。
ちょっと話を飛ばす。
ケヤキの話である。建築材料としてのケヤキは非常に優れた特性を持っていて、高価なものである。昔の家屋にはよく使われていたようで、田舎では、旧家などでよく見かける。現しの太い梁は豪邸の一種のステータスになっていた。豪邸を訪れた際には、「すばらしい梁ですね、ケヤキですか」といっておけばまず、間違いない。そんなケヤキだから、素性のいいものは高額な金で取引される。しかし、杉などに比べれば、育てるの時間がかかって、100年単位になる。「あのケヤキ500万で売れたそうな」と云う類の話をよく聞くが、目利きでないとスカを掴むことになり、大損することもあるらしい。逆の場合もある。その時は大もうけということになる。「山師」という言葉はここから来たようだ。ケヤキも今は薄く削いで、合板などに貼り合わせて、天井材などに使われている。

さて、ここからが本題である。樹齢300年のケヤキが1本で500万円とする。あくまで仮説の話だから、仔細なことは突っ込まないでほしい。米や野菜を作っていれば、年収500万もあれば、田舎なら、結構優雅に暮らせる。つまりケヤキを1本売れば1年暮らせるのである。仮に、私が生まれた時に我が家に300年物のケヤキが1本あったとする。さらに、299年物が1本、298年物が1本、297年物が1本・・・当然、3年物も、2年物も、生まれた年に植えた物も1本。年代別に1本づつ、計300本のケヤキを所持し、以後、毎年1本づつケヤキの苗を植え、そして、1本づつ売る。末代まで、暮らしに困ることがないということになる。しかし、残念ながら、私の先祖はこのようなアイデアを持ち合わせていなかったようだ。私は今、300年後の子孫の生活を考えて、これから毎年ケヤキを1本づつ植えようかと思って・・・いない。労働の喜びを味わってもらうために。
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テーマ : ひとりごとのようなもの - ジャンル : 日記

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ユダヤのことわざ

「明日世界はどうなっているか、わからない。でも私は今日林檎の木を植える」。
好きな言葉です。

こういう言葉に・・・

私は弱い。のんびりブログを書いているようだけれど、実は、私生活ではいろいろ問題を抱えていて、こういう言葉を聞くとジンときてグッとくるのです。「明日世界はどうなっているか、わからない。でも私は今日林檎の木を植える」肝に銘じて、今これら・・・筍採り!!

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