ご報告とお礼

体調が「イマイチ」の検査結果が少し分りました。数ヶ月前から左の指に違和感を感じておりましたが2週間前からは指がまったく動かなくなりました。茶碗がもてない、コインがつまめない、本のページがめくれない。タバコがもてない(神様の思し召しと思って、ついでにきっぱりと禁煙です。そうです、まだ私はタバコをやめていなかったのです。日常生活も仕事も満足にはこなせない状態です。MRによる検査の結果は「椎間板の損傷、摩耗による神経障害」のようです。治療方法はこれから検討することになります。いつもはあまり意識していなかった左手のありがたさを今つくずく感じております。ボタンがとめられない。右腕のかゆいところが掻けない。もともと右手一本でたたいていたキーボードさえもキータッチがうまくできない。この不如意の状態で不便を通り越して不愉快、不機嫌極まりない状態になっておりますがしんぼうするよりしょうがないでしょう。これで、ジャズピアノのスタンダードナンバー「クレオパトラの夢」を弾く「umeの夢」は諦めなくてはならないようです。もっとも「猫ふんっじゃった」も弾けないくせにではありますが。しばらくの間、春はやってきそうにありませんがここは我慢のしどころでしょうか。長い記事は書けません。お見舞いと励ましのコメントを寄せてくださった方には「ありがとう」です。「励ましにのりやすい」タチの私には元気の出るコメントありがとうどざいました。YUKIさん、こんな愚ブログにおつきあい下さりありがとうございます。gakiさん、できればミルキーも。へんりーさん、イチゴショートは生クリームをたっぷりとでお願い。saheiziさん、柿のタネは新潟県の銘菓ですがこの際「梅のタネも」ですね。高麗山さん、今日は西の風も海鳴りもなく穏やか天気です。春になれば亀から脱出です。セイロンさん、正論ですな,IDはとりあえず「ウメモドキエー」ということで。酔流亭さん、ハイ、もうちょいお待ちを。スパムのおにいさんもどうもどうもです。はなびちゅさん、じいちゃんお元気でなによりです!取り急ぎ「報告とお礼でした。では、また

お知らせ

しばらくブログを休みます。よく分らないのですが、体調が「イマイチ」です。「春になれば」と思っています。雪国であっても春は来ます。ちょっと遅いだけ。それまで充電(消耗にならないように!)です。「駅風呂」で「盆の風だより2」として再開する予定です。設計図はできているんだがなあ。
相変わらずお気に入りブログは読んでいます。読み逃げになるかもしれませんが、ひょいとおじゃましたら、番茶でけっこうです、お相手してください。exiteのIDは「umemodokia」です。

亀からの脱出

50がらみの男が幹線から外れた田んぼの中の一本道を仕事に向かうために軽トラックで通りがかった。昨夜来の雪で道路はつるつるに踏み固められ、風が強かったために、あちこちに吹きだまりがある。前方に、1台の乗用車がその吹きだまりに突っ込み、もがいている。亀になった註1

ようだ。50男も以前同じ体験をしている。その時は通りがかった4輪駆動車がロープで引っ張ってくれた。50男はもがいている乗用車の後ろに軽トラを止めた。ダウンジャケットを着た30そこそこと思われる男が車から降りてきた。
「どうした?」50男が尋ねた。「亀になってしまった。」50男は乗用車の下をのぞき込んでみた。車の下に大量の雪を抱えている。船なら暗礁に乗り上げたのと同じ事だ。若い男はさかんにエンジンを吹かし脱出を試みるが暗礁に乗り上げた車は、タイヤが高速で空回りするだけで一向に動く様子がない。

「だめだなこれは、ロープはあるかい?」若い男はかぶりを振った。「スコップは?」やっぱり男は首を横に振る。50男は軽トラからスコップを降ろし、腹ばいになりながら乗用車の腹の下からがちがちに固まった雪を掻き出し始めた。なかなか作業がはかどらない。若い男は黙ってダウンジャケットの襟を立てながらその様子を眺めている。50男は手袋をしていない。若い頃むちゃをして軽い凍傷にかかって以来、指先が血行不良になっていた。汗をかくほど身体は温かいが、寒さで指先の感覚がだんだんだ無くなってきた。若い男は車の中から缶コーヒーをとりだし飲み始めた。何度も時計を見る。小さな声で「時間がないな」と言った。50男は「トラックにもう一つスコップがあるよ」と言いかけたがやめた。
50男は「にいちゃん、俺も時間がないから・・・」次のことばを発するまでわざと間をおく。若い男に不安気な表情が漂う。「俺も時間が無いから、行くわ」
「エッ」と一言発したまま若い男は固まってしまった。若い男に一瞥をくれた凍傷男はニコッと笑って言った。「にいちゃん、心配するなよ!春になれば・・・  雪も融けて・・・亀からの脱出だ。もう少しそこにつったっていれば」 


註1 雪国では上記のような様を亀に擬えて 亀になると言う。

運動会ネタがもうひとつあった。 不当な賞賛

3年もすれば忘れてしまいそうな運動会ネタがもうひとつあった。運動会ネタはこれを最後にするからもう少しおつきあいを。
小学校の時は1学年一クラスだったので、ノートや教科書の裏に書く名前、学年、組のうち、組の欄はいつも空欄だった。
しかし、中学入学と同時に直江津の最西端の海沿いの寒村から、妙高高原に引っ越したために、1学年の生徒数が一挙に10倍に増え、やっと、念願の組の欄に、3という数字を書き入れることができた。学区外からの入学だったので、中学に知り合いは一人もいなかった。内気な私は親しい友達もできないまま最初の運動会を迎えた。運動会を前に、紅白に分かれて各競技の選手選考をすることになった。同級生の運動能力がどれ程のものであるか知らない私は教室の片隅で選考の様子をただ眺めるだけだった。持久走を除けばほとんどの選考は終わったのだが、どうしても持久走だけは自ら手を挙げるものもおらず、推薦を受けても、「ああだ、こうだ」と口実を設けて、逃げ回るものが続出し、なかなか選手が決まらない。顧問のアベ先生もしびれを切らし「誰か一人くらい男らしく手を挙げる者はいないのか!]と声を荒げる。大きい声につられておずおずと手を挙げた者が一人いた。何を隠そうume少年だった。「袋かぶり後ろ向きレース」以外では持久走はかなり自信があったのだ。まじめに走る子供が少なかった事もあり、小学校時代は持久走だけは良い成績を収めていた。見知らぬ同級生たちがどの程度の能力を持っているのか分からないから不安はあったものの、アベ先生の「男らしく」の言葉に思わず反応してしまった。ume少年はこの種の惹句に弱いのである。「持久走は苦手なんだけど俺で良ければ」と心にもないことを言ったがその実、ぶっちぎりでテープを切れば、「umeってすごいじゃん」と注目され、これを機に、友達もできるはずだと、しっかりと計算もしていた。
さて、運動会当日、「ぶっちぎり」をイメージしながら号砲を待つ。レースが始まって私の「持久力走の相対的能力を」を知るのに費やした時間は僅かなものだった。あっという間に私は置いてきぼりをくったのである。みんな早い、早い、あっという間に私は孤独になった。足はもつれ、目はかすみ、ついには、胃の辺りから苦いものが逆流し始める。意識朦朧としながらも、なんとか辿りついたゴールラインには、私以外の選手すべてが腰を下ろして待っていた。断然のビリである。屈辱感でいっぱいだった。私の魂胆はものの見事に外れた。この中学は高原地帯の標高の高いところにあるから誰と言わず、心肺機能に優れている。スキーのクロスカントリーでオリンピックに何人もの選手を輩出している学校であるから、海育ちのume少年のだんぜんのビリは至極当たり前の結果なのだ。
これだけの話なら「苦い思い出」として心の片隅でくすぶっているだけのことであるが、後日談がある。顧問のアベ先生は隣のクラスの担任であったのだが運動会の翌日のホームルームの時間にこう言った。
「隣のクラスのumeというのはたいしたモンである。持久走で一人だけとんでもなく遅かったヤツは分るだろう、あいつがumeだ。あんなに遅いのにあいつは誰も出たがらない持久走に自らかってでたんだ。誰もイヤだよな辛いレースなんか、誰だって出たくないよな。どうしても選手が決まらないのをみかねて、あんなに遅いのにumeは犠牲的精神でで立候補したんだぞ。みんなもみならえ。」
後日、隣のクラスの友達から聞いた話である。「本当の話」を知っているのは私だけであるが「不当な辱め」を受けるのもごめん被るが「不当な賞賛」も困ったものである。「いや、そうではない」と真実を先生に告白するのも難儀であるから「犠牲的精神の持ち主、ume」という虚像はしばらくの間、一人歩きしていたが化けの皮ががはがれるのにはさほどの時間は要さなかった。虚像を背負ったままにしばらくの間アベ先生の前では窮屈な思いをした。

スポーツにかかわる 私のささやかな「栄光」

前回、「私は得意なスポーツはない」と書きましたが、記憶を辿ると、こんな私でもささやかながらも「栄光」がありました。小学生の頃の話です。過疎地の小学校で、1学年1クラスの小さな学校でした。児童数が少ないので、運動会をやってもイマイチ盛り上がりに欠けるものでした。その代わり当地では集落対抗の「地区運動会」がありました。小中学校の子供たちとこの地域に住む大人たちが集落毎に得点を争うというものです。趣向をを凝らした競技がありました。その時私が出場した競技は「袋かぶり後ろ向きレース」というものでした。頭に袋を被り、両手を地面につけたまま後ろ向きに走ります。「栄光」とタイトルにあるからもちろん優勝しました。しかも、過去の優勝記録を上回る新記録の優勝でした。「新記録賞」の賞状をもらいました。集落対抗だったので、子供以上に大人が得点争いに熱中しました。得点争いが白熱してくると、おきまりの「けんか」です。運動会も終盤にさしかかるとたいがい大人たちはけんかを始めました。私の属する集落は小集落だったので、優勝争いに絡むこともなく、いつも蚊帳の外でしたから、私の集落はけんかの見学に回りました。けんかをするのは、いつも優勝争いをする大集落のチームでした。実のところ、子供たちは競技そのものよりこのけんかを見物するのが大いなる楽しみでした。しかし、この楽しい運動会も私が新記録賞」を獲った翌年には取りやめになってしまいました。けんかは教育上好ましくないという先生方の判断です。当然、私が記録を持っている「袋かぶり後ろ向きレース」もこの年を最後に姿を消しました。よって、私は永遠の記録ホルダーということになります。栄光と言うにはあまりにマイナーな競技ですが・・