敗者よ、復活せよ
私には人に誇れるような得意なスポーツはない。だから、スポーツはもっぱらテレビ観戦が主であるが近頃の小うるさい実況放送には辟易している、アナウンサーの絶叫を聞いただけでスイッチを切りたくなる。過度にショー化されたスポーツも興醒めする。
ウンザリしながらもしばらくは放送を眺めるが、我慢も限度に達して、ついにはスイッチを切ってしまう。私のような考えを持つ人は少なくないはずだが、上記の傾向はますますエスカレートしているような気がする。これらの手法はテレビ局が独自の美意識に基づいて作っていると言うよりは視聴者の望む最大公約数を具現化したものとみるのが妥当であろう。となると、私の考え方や感覚は少数派なのだ。私もだんだんと時代からズレ始めているようだ。まあ、しょうがないやね。
スポーツというと、もうひとつ気になることがある。野球選手がよくやる「ガッツポーズ」だ。ホームランを打った選手がベースを回るときに片手を挙げて「どうだ、今のホームランすごいだろう!」と誇示しているように見えるあのポーズのことだ。ガッツポーズというのは、私の解釈では「劣勢の時に自らを奮い立たせるために行うささやかなパフォーマンス」と言うことになるのだが、最近のよく目にするガッツポーズはどう見ても「勝利の雄叫び」にしか見えない。スポーツに限らず勝負事というのは一方に勝利者がいれば、片方は敗北者である。より多く努力したものが必ずしも勝利を手にするとは限らない。大変な努力をしたにも拘わらず、時の運や持って生まれた天分の差で負けることもある。しかし、敗者は「ああだこうだ」言わずに敗北を潔く受け容れる。スポーツが我々にカタルシスを与えてくれるのは、実にこの「潔さ」があるからだ。もちろん贔屓の選手が勝利した時に共有する「高揚感」も捨てがたいだが、私は敗北が決定したときの敗者ののうなだれ、敗北感に打ちひしがれているその姿を見るのも好きだ。感動を持って眺める。逆説的に言っているのではない。敗北が決まったときに彼の胸に去来するであろう勝ちたいがためにうちこんだ辛い練習のことや自分を支えてくれた人たちのこと、あるいは恋人のこと。やるせない屈辱感。簡単に気持ちの整理なんてできるわけがない。私には彼の複雑な胸中を知る由もないが、察することはできる。そして、今、まさに、敗者が「敗北の余韻」に浸っているとき、勝利者は傍らを、天に手を突き上げて、「勝利の雄叫び」をあげて通り過ぎる。。敗者の気持ちを慮れというのではない。歓喜のの気持ちを素直に表現することにケチをつけるつもりはない。表現の自由だから、どんなパフォーマンスをしようが自由だ。私が気に入らないのは「既成概念にとらわれない自由な表現」ができるのが若者の優れた点である、という私の思いこみを裏切って、猫も杓子も同じポーズをすることだ。若者よ、独創的であれ。手垢のついた表現なんてクソ食らえなんだぞ。
若者も生きている限りいずれは老いる。勝者も戦い続けている限りいつかは敗者になる。敗者だって復活することがあるのだぞ。言わなくても分かっているだろうが
ウンザリしながらもしばらくは放送を眺めるが、我慢も限度に達して、ついにはスイッチを切ってしまう。私のような考えを持つ人は少なくないはずだが、上記の傾向はますますエスカレートしているような気がする。これらの手法はテレビ局が独自の美意識に基づいて作っていると言うよりは視聴者の望む最大公約数を具現化したものとみるのが妥当であろう。となると、私の考え方や感覚は少数派なのだ。私もだんだんと時代からズレ始めているようだ。まあ、しょうがないやね。
スポーツというと、もうひとつ気になることがある。野球選手がよくやる「ガッツポーズ」だ。ホームランを打った選手がベースを回るときに片手を挙げて「どうだ、今のホームランすごいだろう!」と誇示しているように見えるあのポーズのことだ。ガッツポーズというのは、私の解釈では「劣勢の時に自らを奮い立たせるために行うささやかなパフォーマンス」と言うことになるのだが、最近のよく目にするガッツポーズはどう見ても「勝利の雄叫び」にしか見えない。スポーツに限らず勝負事というのは一方に勝利者がいれば、片方は敗北者である。より多く努力したものが必ずしも勝利を手にするとは限らない。大変な努力をしたにも拘わらず、時の運や持って生まれた天分の差で負けることもある。しかし、敗者は「ああだこうだ」言わずに敗北を潔く受け容れる。スポーツが我々にカタルシスを与えてくれるのは、実にこの「潔さ」があるからだ。もちろん贔屓の選手が勝利した時に共有する「高揚感」も捨てがたいだが、私は敗北が決定したときの敗者ののうなだれ、敗北感に打ちひしがれているその姿を見るのも好きだ。感動を持って眺める。逆説的に言っているのではない。敗北が決まったときに彼の胸に去来するであろう勝ちたいがためにうちこんだ辛い練習のことや自分を支えてくれた人たちのこと、あるいは恋人のこと。やるせない屈辱感。簡単に気持ちの整理なんてできるわけがない。私には彼の複雑な胸中を知る由もないが、察することはできる。そして、今、まさに、敗者が「敗北の余韻」に浸っているとき、勝利者は傍らを、天に手を突き上げて、「勝利の雄叫び」をあげて通り過ぎる。。敗者の気持ちを慮れというのではない。歓喜のの気持ちを素直に表現することにケチをつけるつもりはない。表現の自由だから、どんなパフォーマンスをしようが自由だ。私が気に入らないのは「既成概念にとらわれない自由な表現」ができるのが若者の優れた点である、という私の思いこみを裏切って、猫も杓子も同じポーズをすることだ。若者よ、独創的であれ。手垢のついた表現なんてクソ食らえなんだぞ。
若者も生きている限りいずれは老いる。勝者も戦い続けている限りいつかは敗者になる。敗者だって復活することがあるのだぞ。言わなくても分かっているだろうが
書き直し(めい犬ウメとちょっと遠出)
またチョンボをしました。下書きのつもりで投稿ボタンを押したらブログにエントリーされてしまったというよくある話です。『以下もう1度書き直しです。
『日曜日にめい犬ウメとの契約に基づいて「休日はちょっと遠出の散歩」に行ってきました。ウメは雪が大好きです。近頃は雪国も放っておけばいつかは消えて無くなる雪をきれいに除雪するから、道路を歩くだけなら下駄履きでも歩けます。この日はパラパラと雪は降っていたのですが風もなく穏やかな日和でした。歩いたコースは国道8号線経由久比岐自転車道を経ての北陸自動車道「名立谷浜サービスエリア」です。およそ3kmの行程です。

穏やかな日とは言ってもこの程度には荒れています。』
久比岐自転車道は直江津から糸魚川までの海岸線沿いに40km歩行者自転車専用道路です。旧北陸線の跡地を利用しています。ume家のすぐ裏を走っています。


日本海を眺めながらトコトコ歩きます。

風力発電のプロペラ。風が強すぎてよく壊れるので補修費が大変で採算がとれないという噂です。風はただなんですがね。

記念写真を1枚
ウメの大好きな雪

ウメとの散歩はリードを使いません。交通事故に遭って以来トンズラすることがなくなったのです。
しかし、今日は雪の中を勝手に歩いていってどこへ行ったのか姿が見えなくなりました。「オーイウメ!戻ってこい!」

こんな所にいました。ホッ
一番近いタバコ屋です。なんと北陸道のサービスエリアです。ここまでタバコを買いに来ます。今日は二人でソフトクリームを食べました。今日はここが終点です。
『日曜日にめい犬ウメとの契約に基づいて「休日はちょっと遠出の散歩」に行ってきました。ウメは雪が大好きです。近頃は雪国も放っておけばいつかは消えて無くなる雪をきれいに除雪するから、道路を歩くだけなら下駄履きでも歩けます。この日はパラパラと雪は降っていたのですが風もなく穏やかな日和でした。歩いたコースは国道8号線経由久比岐自転車道を経ての北陸自動車道「名立谷浜サービスエリア」です。およそ3kmの行程です。

穏やかな日とは言ってもこの程度には荒れています。』
久比岐自転車道は直江津から糸魚川までの海岸線沿いに40km歩行者自転車専用道路です。旧北陸線の跡地を利用しています。ume家のすぐ裏を走っています。


日本海を眺めながらトコトコ歩きます。


風力発電のプロペラ。風が強すぎてよく壊れるので補修費が大変で採算がとれないという噂です。風はただなんですがね。

記念写真を1枚
ウメの大好きな雪

ウメとの散歩はリードを使いません。交通事故に遭って以来トンズラすることがなくなったのです。

しかし、今日は雪の中を勝手に歩いていってどこへ行ったのか姿が見えなくなりました。「オーイウメ!戻ってこい!」

こんな所にいました。ホッ

一番近いタバコ屋です。なんと北陸道のサービスエリアです。ここまでタバコを買いに来ます。今日は二人でソフトクリームを食べました。今日はここが終点です。
境界線の引き方
今ほど「表現の自由」が確保されていなかった時代に先人は幾多の事件や裁判をくぐり抜けながら、多少の制限はあるものの、私たちが当たり前のように享受している「表現の自由」を勝ち取ってきた。・・と書きだしてみたのだけれど・・・うーん、俺向きじゃないか、このテーマと思いつつも・・・
30年以上も前の話だが、お上の決めた「猥褻の」定義に釈然としないある写真家が写真展を開き、所轄の警察署にこんな文書を送った
「私は今○○会館で写真展を開いています。被写体は主に男の裸です。この男は類い希なる胸毛の持ち主で、是非ともこの立派な胸毛を芸術的表現に昇華させた上で皆さんにご披露したいと考えました。しかし、やっかいなことに、この人の胸毛は「下の毛」と区別がつきません。私にはその境界線がよく分からないのです。すでに当該写真は会場に展示してあるのですが、せっかくの芸術作品が「猥褻物陳列罪」で当局によって撤去されたり、私自身が検挙されたりしたら以後の私の創作意欲に水を差すことになるやもしれません。、現在は「毛」の部分はすべて白い布で覆ってあります。せっかくの美しい胸毛も今は見ることができません。そこで相談です。私はこれから毎日この布を1cmっづつ下方へ移動たいと考えているのですが当局にはご足労でも会場に足を運んでいただいた上で、「これ以上はヤバイ」というラインまで来たら布の移動にストップをかけていただきたいのです。どこまでの「毛」ならば遵法でどこからなら違法であるかの境界線を示していただきたい。さらに、わがままを言わせてもらえれば、あくまでも私の意図する芸術性にも配慮していただきたい。このお願いの目的はは、いわば「芸術」と「「猥褻」の境界線を指し示していただくということになります。勝手なお願いではありますがぜひご協力のほどお願い申し上げます
」と言う文章だったかどうかはもう忘れているが、まあ文意はこんなものだったのではなかろうか。残念ながら事の顛末がどうなったか私には分からない。
このまま「表現の自由」に論を進めるつもりで記事を書いたらとんでもなく長い文章になった上に、まとまりがつかなくなってきた。後日、このテーマは改めて書くこととして、テーマを少し変えて論を進める。たまたま奈良在住の「アテ料理研究家」が「境界線」に触れた記事を書かれていたので追随することにした。
境界線は誰の目にも分かるくっきりと太い実線で書き表せば、曖昧な解釈もできず分り易くてよいのだが、あまりに太い線は、線そのものの領域がどちらに属するかで悩まなくてはならなし、細い線は線の存在そのものが疑われる。トラブルを防ぐために考えられた境界線も実のところは万能ではなく、無段階に連続した領域や事柄、玉虫色の領域に無理矢理境界線を引くというのは大変難しい作業になる。卑近な例を引く。「禁煙」というのはタバコを1本も吸わない状態を言うのだろうが1本くらいなら吸っても、限りなく0本に近いのだから、これも禁煙のうちだろうし、たとえ2本吸ったとしても限りなく1本に近いから、これも禁煙状態なるはずだし、仮に3本吸ったとしても限りなく2本に近いのであるから・・・4本だって・・・。
われわれは事の善悪を選択したり、与えられた課題を解くときに知恵を絞って境界線を引かなくてはならない。、どこにその線を描き記すかによって判断結果は変わってくる。振り返ってみると、私は過去にこの線引きで随分多くの過ちを犯したような気がするし今後も線引き作業で悩ましい日々を送らなければならないのだが、私の能力を超えた線引き作業は、正直に言えばウンザリだ。
30年以上も前の話だが、お上の決めた「猥褻の」定義に釈然としないある写真家が写真展を開き、所轄の警察署にこんな文書を送った
「私は今○○会館で写真展を開いています。被写体は主に男の裸です。この男は類い希なる胸毛の持ち主で、是非ともこの立派な胸毛を芸術的表現に昇華させた上で皆さんにご披露したいと考えました。しかし、やっかいなことに、この人の胸毛は「下の毛」と区別がつきません。私にはその境界線がよく分からないのです。すでに当該写真は会場に展示してあるのですが、せっかくの芸術作品が「猥褻物陳列罪」で当局によって撤去されたり、私自身が検挙されたりしたら以後の私の創作意欲に水を差すことになるやもしれません。、現在は「毛」の部分はすべて白い布で覆ってあります。せっかくの美しい胸毛も今は見ることができません。そこで相談です。私はこれから毎日この布を1cmっづつ下方へ移動たいと考えているのですが当局にはご足労でも会場に足を運んでいただいた上で、「これ以上はヤバイ」というラインまで来たら布の移動にストップをかけていただきたいのです。どこまでの「毛」ならば遵法でどこからなら違法であるかの境界線を示していただきたい。さらに、わがままを言わせてもらえれば、あくまでも私の意図する芸術性にも配慮していただきたい。このお願いの目的はは、いわば「芸術」と「「猥褻」の境界線を指し示していただくということになります。勝手なお願いではありますがぜひご協力のほどお願い申し上げます
」と言う文章だったかどうかはもう忘れているが、まあ文意はこんなものだったのではなかろうか。残念ながら事の顛末がどうなったか私には分からない。
このまま「表現の自由」に論を進めるつもりで記事を書いたらとんでもなく長い文章になった上に、まとまりがつかなくなってきた。後日、このテーマは改めて書くこととして、テーマを少し変えて論を進める。たまたま奈良在住の「アテ料理研究家」が「境界線」に触れた記事を書かれていたので追随することにした。
境界線は誰の目にも分かるくっきりと太い実線で書き表せば、曖昧な解釈もできず分り易くてよいのだが、あまりに太い線は、線そのものの領域がどちらに属するかで悩まなくてはならなし、細い線は線の存在そのものが疑われる。トラブルを防ぐために考えられた境界線も実のところは万能ではなく、無段階に連続した領域や事柄、玉虫色の領域に無理矢理境界線を引くというのは大変難しい作業になる。卑近な例を引く。「禁煙」というのはタバコを1本も吸わない状態を言うのだろうが1本くらいなら吸っても、限りなく0本に近いのだから、これも禁煙のうちだろうし、たとえ2本吸ったとしても限りなく1本に近いから、これも禁煙状態なるはずだし、仮に3本吸ったとしても限りなく2本に近いのであるから・・・4本だって・・・。
われわれは事の善悪を選択したり、与えられた課題を解くときに知恵を絞って境界線を引かなくてはならない。、どこにその線を描き記すかによって判断結果は変わってくる。振り返ってみると、私は過去にこの線引きで随分多くの過ちを犯したような気がするし今後も線引き作業で悩ましい日々を送らなければならないのだが、私の能力を超えた線引き作業は、正直に言えばウンザリだ。
ume小間物工事店が儲らない理由(わけ)
まとまった仕事はそんなわけにもいかないが、小工事の場合は、承認されるかどうかは別として、工事金額はこちら側で決めさせてもらう。どんな金額設定をしようが私の腹づもり一つということになる。設定が高ければ高いほど当店は潤う。仕事柄どちらかというと、リピーターよりは一見の客が多いから、後先考えなければ、かなりの高値設定ができる。「そこそこの仕事をして、なるべくたくさんの金をいただく」という「儲けるための基本その1」に従えば儲けることはそんなに難しいことではない。この「基本1」さえ忠実に守れば、そこそこの利益が稼げるのだ。しかし、そうは問屋が卸さない。たとえば先日こんな事があった。
仕事の依頼主は87歳のばあちゃん。初めてのお客だ。新年早々ボイラーが壊れて風呂に入れないから大至急ボイラーの入れ替えをしてほしいとのこと。その日はたまたま他にもボイラーの入れ替え工事があったから、「ちょっと遅くなるけど、今日中に何とかするから」と返事をして先約のお客の仕事を先に片付ける。予想より手間が食って、ばあちゃんちに到着したときはもう暗くなっていた上に、いかにも面倒そうな取り付け状況だ。屋外作業も伴う仕事だから、ガタガタ震えるような寒さで、気持ちも萎える。「ばあちゃん、仕事明日でもいかな」の言葉をすんでのところで飲み込む。どんな風に取り付けるか確認すると、「おマンタに任せるから良いようにやってくんナイ」とのこと。「ハイよ」の返事で仕事に取り掛かる。仕事が終わったのは8時過ぎ。体が芯まで冷えた。こういうときは早く家に帰って、温かい牛乳を飲んで、藤沢周平を携え、熱い風呂にはいるのが一番だが、そんなわけにはいかない。取扱説明をしなければならない。ところが、一人暮らしの87歳に最新鋭の機器の説明をするのは大変。のっけから、「もうろくしているから、面倒なのは分からん」と機先をを制せられる。説明開始。
「左側にあるこの運転ボタンを押すとキュートーできるし、好みのキュートー温度にするにはこのボタンを押して、左側のデジタル表示の数字を好みの温度に設定して、風呂の張り込みをするにはこの自動と書いてあるボタンを押して、水位の設定はこのボタンを押して、沸き上げの温度の設定は、、、、」「・・・・・」ばあちゃんは何の反応も示さない。こんな説明では分かるわけはないよね、ばあちゃん。心配無用。実はわたくし高齢者への取扱説明は得意分野なんだから。猫でも分かるように取扱説明のやり直し。
こういうとき大事なのは、実際の操作はお客さんにやってもらって、私は操作方法を教えるだけにすることと、操作結果を一つ一つ確認してもらうこと。日頃使わない機能は説明しないこと。説明が終わったらもう一度、お客さん自身の手でおさらいの操作をしてもらうこと。
これでOKです。「ほほーん、ははーん」と言いながらばあちゃんも納得の様子。これでばあちゃんも一安心。ばあちゃんは「今お茶の用意するから」と言って奥へ消える。本当は早くうちへ帰って、牛乳を、と思ったが、お茶のお供をすることにした。お茶のお供もサービスの一環だ。一人暮らしのはずなのに奥の方から「コラー!戸を締めろ」の大きな声。「お茶入ったよ」の呼びかけで茶の間へ。「コラー!」の相手が判明。猫だった。「こいつはなんべん言っても戸を開けても締めないから」笑いながら言う。まだ生後間もない猫だ。「こいつを看取ってやらないとね」猫の平均寿命は15歳くらいだから、この猫を最後まで看取るには、ばあちゃんは100歳を超える。大丈夫だろう、ばあちゃんなら。お茶請けに出された白菜漬けで、しばし談笑。「近頃ボケてきた」と盛んに言う。「ばあちゃん、俺も近頃大分ボケてきた」「オマンまだ若いすけそんなことないだろう」「いやそんなこととがあるんだね、これが。直にばあちゃんに追いつくから待っててね」しばらくボケ談義する。そうこうしているとばあちゃんはボケ防止のために娘さんから買ってもらったというカラオケセットを器用にセッティングする。流れてきたのは三橋三智也の「たっしゃでな」だった。「一つ歌ってくんない」「ばあちゃん、俺ダメだ。ちーちーぱっぱしか歌えないから」と固辞すると自分で歌い出した。いやいやなかなか味わいのある唄だった。ごちそうさまを言って、おいとましようとしたら、石油ストーブが目に入る。「ばあちゃんいいかね、ストーブの側に燃えるようなものを絶対に置いてはいけないよ。鍋をかけたまま側を離れてもいけないよ」と一言おせっかいを言うとばあちゃんは「金、すぐ払うから、早く請求書持ってきてくんナイ」と言う。「いいかね、損しなんな」と付け加える。「分かったよ、いっぱい儲けるから」と答えると、「いっぱいは困る」というモンだから、「じゃーちょっとだけ」「それならいい」と手を打ってくれる。ボイラーの耐用年数を訊いてきたから「まあ15年くらいだろう」と答える。「このボイラーまた壊れたら頼むよ」とありがたいお言葉。「ありがとう、その時は是非、当店へ」その時はばあちゃんは102歳かあ。ぜひとも長生きしてもらわなければ。
どう見ても余裕のある生活でもなさそうだったし、お茶をご馳走にもなったから、「こんなものしておこうか」と遠慮気味の金額を考えながら、家路につく。とても儲かるという金額ではないが、今度金持ちの家の仕事をしたら、足りない分を少し上乗せしておこうと言うことにした。
まあしかし、世の中は私の計算通りには事が運ばないい。「フユー層ほど出し渋る」という「フユー層ケチの法則」があるのだ。彼らは、徹底的に値切ってくる。コッチの採算性なんてのはどうでも良いことだから、値切り方に容赦はない。間違っても「損するなネー」とは言わない。私なんぞは敵でない。手もなく捻られて、勝負あり。「コッチの赤字をアッチで補填」はなかなかうまくいかない。フユー層と五分の勝負をするには、まだ私は修行が足りない。かくして、ume小間物工事店の「どんなお客と出会っても、結局は儲からない」と言う図式が出来上がる。
仕事の依頼主は87歳のばあちゃん。初めてのお客だ。新年早々ボイラーが壊れて風呂に入れないから大至急ボイラーの入れ替えをしてほしいとのこと。その日はたまたま他にもボイラーの入れ替え工事があったから、「ちょっと遅くなるけど、今日中に何とかするから」と返事をして先約のお客の仕事を先に片付ける。予想より手間が食って、ばあちゃんちに到着したときはもう暗くなっていた上に、いかにも面倒そうな取り付け状況だ。屋外作業も伴う仕事だから、ガタガタ震えるような寒さで、気持ちも萎える。「ばあちゃん、仕事明日でもいかな」の言葉をすんでのところで飲み込む。どんな風に取り付けるか確認すると、「おマンタに任せるから良いようにやってくんナイ」とのこと。「ハイよ」の返事で仕事に取り掛かる。仕事が終わったのは8時過ぎ。体が芯まで冷えた。こういうときは早く家に帰って、温かい牛乳を飲んで、藤沢周平を携え、熱い風呂にはいるのが一番だが、そんなわけにはいかない。取扱説明をしなければならない。ところが、一人暮らしの87歳に最新鋭の機器の説明をするのは大変。のっけから、「もうろくしているから、面倒なのは分からん」と機先をを制せられる。説明開始。
「左側にあるこの運転ボタンを押すとキュートーできるし、好みのキュートー温度にするにはこのボタンを押して、左側のデジタル表示の数字を好みの温度に設定して、風呂の張り込みをするにはこの自動と書いてあるボタンを押して、水位の設定はこのボタンを押して、沸き上げの温度の設定は、、、、」「・・・・・」ばあちゃんは何の反応も示さない。こんな説明では分かるわけはないよね、ばあちゃん。心配無用。実はわたくし高齢者への取扱説明は得意分野なんだから。猫でも分かるように取扱説明のやり直し。
こういうとき大事なのは、実際の操作はお客さんにやってもらって、私は操作方法を教えるだけにすることと、操作結果を一つ一つ確認してもらうこと。日頃使わない機能は説明しないこと。説明が終わったらもう一度、お客さん自身の手でおさらいの操作をしてもらうこと。
これでOKです。「ほほーん、ははーん」と言いながらばあちゃんも納得の様子。これでばあちゃんも一安心。ばあちゃんは「今お茶の用意するから」と言って奥へ消える。本当は早くうちへ帰って、牛乳を、と思ったが、お茶のお供をすることにした。お茶のお供もサービスの一環だ。一人暮らしのはずなのに奥の方から「コラー!戸を締めろ」の大きな声。「お茶入ったよ」の呼びかけで茶の間へ。「コラー!」の相手が判明。猫だった。「こいつはなんべん言っても戸を開けても締めないから」笑いながら言う。まだ生後間もない猫だ。「こいつを看取ってやらないとね」猫の平均寿命は15歳くらいだから、この猫を最後まで看取るには、ばあちゃんは100歳を超える。大丈夫だろう、ばあちゃんなら。お茶請けに出された白菜漬けで、しばし談笑。「近頃ボケてきた」と盛んに言う。「ばあちゃん、俺も近頃大分ボケてきた」「オマンまだ若いすけそんなことないだろう」「いやそんなこととがあるんだね、これが。直にばあちゃんに追いつくから待っててね」しばらくボケ談義する。そうこうしているとばあちゃんはボケ防止のために娘さんから買ってもらったというカラオケセットを器用にセッティングする。流れてきたのは三橋三智也の「たっしゃでな」だった。「一つ歌ってくんない」「ばあちゃん、俺ダメだ。ちーちーぱっぱしか歌えないから」と固辞すると自分で歌い出した。いやいやなかなか味わいのある唄だった。ごちそうさまを言って、おいとましようとしたら、石油ストーブが目に入る。「ばあちゃんいいかね、ストーブの側に燃えるようなものを絶対に置いてはいけないよ。鍋をかけたまま側を離れてもいけないよ」と一言おせっかいを言うとばあちゃんは「金、すぐ払うから、早く請求書持ってきてくんナイ」と言う。「いいかね、損しなんな」と付け加える。「分かったよ、いっぱい儲けるから」と答えると、「いっぱいは困る」というモンだから、「じゃーちょっとだけ」「それならいい」と手を打ってくれる。ボイラーの耐用年数を訊いてきたから「まあ15年くらいだろう」と答える。「このボイラーまた壊れたら頼むよ」とありがたいお言葉。「ありがとう、その時は是非、当店へ」その時はばあちゃんは102歳かあ。ぜひとも長生きしてもらわなければ。
どう見ても余裕のある生活でもなさそうだったし、お茶をご馳走にもなったから、「こんなものしておこうか」と遠慮気味の金額を考えながら、家路につく。とても儲かるという金額ではないが、今度金持ちの家の仕事をしたら、足りない分を少し上乗せしておこうと言うことにした。
まあしかし、世の中は私の計算通りには事が運ばないい。「フユー層ほど出し渋る」という「フユー層ケチの法則」があるのだ。彼らは、徹底的に値切ってくる。コッチの採算性なんてのはどうでも良いことだから、値切り方に容赦はない。間違っても「損するなネー」とは言わない。私なんぞは敵でない。手もなく捻られて、勝負あり。「コッチの赤字をアッチで補填」はなかなかうまくいかない。フユー層と五分の勝負をするには、まだ私は修行が足りない。かくして、ume小間物工事店の「どんなお客と出会っても、結局は儲からない」と言う図式が出来上がる。
禁煙生活
今日はめい犬ウメが記事を書きます。
年が明けてからというもの、部屋の中をうろうろ動き回ったり、爪楊枝をしゃぶったり、あめ玉を舐めたりと、どうも親方に落ち着きがない。アタシが思うにこれは明らかなニコチン切れの禁断症状だ。親方の禁煙宣言を知っているのは家族ではアタシだけだから、いつも通りにたばこを吸っても、誰も咎め立てするはずないのだから、ゴミ箱でシケモクなんか探さないで、さっさとたばこを買いに行けばいいのに。あんなにイライラしていたら絶対に健康に良くないと思う。あと3日もすれば、」禁煙宣言撤収宣言」の記事をアップすることになりそうな気配がそこはかとなく漂ってくる。
ume「コラーッ、余計なことを書くなウメ。私は悠々と禁煙ゲームを楽しんでいることになっているのだから。」
「ウメ「だって、親方を見ていると、なんだかとっても辛そうだから、そろそろギブアップした方がいいのじゃないかと・・・」
ume「うるさい!物事を成し遂げると言うことはお前が考えるほど生やさしいものではない。お前がいくら同情の言葉を私に投げかけてくれても、それはけっして優しい慈愛に満ちた言葉にはならない。悪魔のささやきなのだ。だから、私のことは放っておいてくれ。」
ウメ「分かったわ。でも、ミルキーをあんまり舐めすぎない方がいいと思うわ。 (親方は 禁煙ならず 虫歯増え)って事にならないようにね!」
年が明けてからというもの、部屋の中をうろうろ動き回ったり、爪楊枝をしゃぶったり、あめ玉を舐めたりと、どうも親方に落ち着きがない。アタシが思うにこれは明らかなニコチン切れの禁断症状だ。親方の禁煙宣言を知っているのは家族ではアタシだけだから、いつも通りにたばこを吸っても、誰も咎め立てするはずないのだから、ゴミ箱でシケモクなんか探さないで、さっさとたばこを買いに行けばいいのに。あんなにイライラしていたら絶対に健康に良くないと思う。あと3日もすれば、」禁煙宣言撤収宣言」の記事をアップすることになりそうな気配がそこはかとなく漂ってくる。
ume「コラーッ、余計なことを書くなウメ。私は悠々と禁煙ゲームを楽しんでいることになっているのだから。」
「ウメ「だって、親方を見ていると、なんだかとっても辛そうだから、そろそろギブアップした方がいいのじゃないかと・・・」
ume「うるさい!物事を成し遂げると言うことはお前が考えるほど生やさしいものではない。お前がいくら同情の言葉を私に投げかけてくれても、それはけっして優しい慈愛に満ちた言葉にはならない。悪魔のささやきなのだ。だから、私のことは放っておいてくれ。」
ウメ「分かったわ。でも、ミルキーをあんまり舐めすぎない方がいいと思うわ。 (親方は 禁煙ならず 虫歯増え)って事にならないようにね!」
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