ためらいながらも「禁煙宣言」です
大晦日の夜もすでに10時をまわりました。外は今、北西の風が吹き荒れていますが、国道8号線を走る車がいないので、静かな夜です。
この間、「禁煙宣言まであと一歩」という記事を書きました。どうせなら区切りの良いところでたばこをやめようと思っていました。明日は1月1日です。これほど区切りの良い日がありましょうか。明日から100年間だけ禁煙することにしました。101年目にはまた煙の世界へ戻ってくるつもりです。37,200,000円の禁煙貯金を手にして。吸い納めの今日は必死にたばこを吸い、今、最後の一本に火をつけました。たばことはしばしの別れです。

一応念のために4箱だけ買い置きをしましたが明日はゴミ箱に入れます。たぶん。
この間、「禁煙宣言まであと一歩」という記事を書きました。どうせなら区切りの良いところでたばこをやめようと思っていました。明日は1月1日です。これほど区切りの良い日がありましょうか。明日から100年間だけ禁煙することにしました。101年目にはまた煙の世界へ戻ってくるつもりです。37,200,000円の禁煙貯金を手にして。吸い納めの今日は必死にたばこを吸い、今、最後の一本に火をつけました。たばことはしばしの別れです。

一応念のために4箱だけ買い置きをしましたが明日はゴミ箱に入れます。たぶん。
明けましたら おめでとう ございます
2007年が終わろうとしている。みなさんはどんな年だっただろうか。私は生業である工事業がとんでもない逆風に晒されて、四苦八苦で年の瀬を迎えている。ここ数年かなりの逆風を感じていたが、今年はいろいろな悪条件が重なり、逆風の度合いがぐんと増した。嘆いていてもしょうがない。ヨットやスキーのジャンプ競技のように逆風を利用してその推進力を増す方法もあるようだが、私にはそんな技術も知恵もない。現実的に考えて、時にビルの物陰で風を避けたり、猫の尻にくっついて風当たりを弱めたりしながらもナントか折り返し点まで早く到達して、「逆風も、折り返し過ぎれば、順風だ」のマラソンに倣って突き進むより手はなさそうだ。穏やかな感慨に耽る年の瀬は迎えられそうもない。新たなる闘志をかき立てる年の瀬なのである。それなりに「荒天準備」をしていたつもりではあるが、世の中のテンポは速い。新自由主義の流れの中に取り残された枯れ葉のごとく、我が行方見定めることもできずプカプカ浮かんでるだけ・・・と言っちゃぁいけないぞ、枯れ葉にも五分の魂、があるのかどうか知らないが、魂にちょっと気合いを入れて新年を迎えるとしよう。
景気の悪い話はここまでにして、一年を振り返る・・・となるとまた景気の悪い話に逆戻りしそうなので、そこの処は意識的に避けて通ることにする。
4月からブログを始めた。未だにダイアルアップのネット環境、パソコン知識の欠如、極度に遅いキータッチという三大ハンディキャップを考えるとヨロヨロしながらではあるが、ナントかここまで継続してこられたと言うことは「俺って結構たいしたモンじゃん」と評価してもいいのじゃないかと、誰も言わなくても、私が言う。書き殴り、書き散らしの記事ばかりだから、過去ログを読むと赤面するような内容の記事もあるが、削除、抹消もせずに残しておく。
昨年まではブログという言葉さえ知らなかった私が何故急にブログを始めたのか。
たぶんは何かの偶然でたどり着いたYUKI-archさんの「建築家の育住日記」を読み始めたのがことの始まり。田舎住まいの閉塞的な生活を何十年も続けてきた者にとって「建築家の育住日記」はまさにカルチャーショックそのものだった。市井の中にでこんなに博識で、洞察力、分析力にすぐれ、、端正な文章を書いて、しかも決して偉ぶらずの気品に驚いた。井戸の中に長く住んでいるume蛙には大きな驚きだった。「スゲー!」の一言だ。興味を惹かれる記事におそるおそるコメントを入れてみた。返ってきたのである。内藤洋子に書いたファンレターに返事が来たような心持ちである。「育住日記」からsaheizi-inokoriさんの「梟通信」に飛んでみた。また驚いた。「寝たきりおとっつぁん」の私からみれば「チョーウルトラスーパーモノスゲーおとっつぁん」が梟の森から飛び出てきた。能楽堂、寄席、映画、銭湯がよい、食い歩き、それでもまだ時間をもてあますと見えて、ソウルだ上海だ広島だ下北沢商店街だと出かけていく、さらに、私がショートケーキをパクつくような勢いで本を読む。一番驚くのはブログ記事の更新速度、質、量ともにずっしりとした記事が毎日毎日アップされる。こちらはポカンと口を開けるだけ。力強くてエネルギッシュ、小回りもきいてスピードも出る。内容豊富のてんこ盛りのブログだ。とても真似ができないから、目標にさえならない。それでいながら、私のようなヒヨッコブログにも細かい気配りをしてくれる。梟さんの優しい配慮があったからこそ続けることができたumeブログである。梟ブログを起点にあっちこっちのブログを徘徊した。皆さんそれぞれの持ち味を生かした構成と記事に感心する。
suyiryuteiさんの「酔流亭日乗」にも飛んでみた。虚無僧が尺八を吹くようなしゃんと背筋を伸ばした姿勢で、記事を書いているのだろうか、記事を読むたびに姿勢にまで想いが及ぶ文体だ。実のところは「のみ」「のみ」「くい」「くい」「のみ」「くい」「くい」が不連続につながる「飲み食いブログ」でもあるのだが示唆に富んだ社会ネタや時評に感心する。「花まき日記」とあいまったコラボは絶妙だ。
mitsukuさんの「mitsukiのお気楽大作戦」には意表を突かれた。随分長い間、私はmitsukiさんを男だと思いこんでいた。だからどうだというわけではないけれど、妹分になるのであろうかお人形mitsukiちゃんとの野外撮影日記は「よし、おれも」とまでは思わないが、門外漢の私でも充分に楽しめたし、数々の「工作物」にも感心。「徒然草」の翻訳は秀逸だった。
地味ブログ、gakis-roomさんの「楽餓鬼」にも飛んでみた。褒め言葉にはならないのだろうが地味なブログである。話題の中心は「ヘクソカズラ」や「オオイヌノフグリ」の野草の話。加えて、「奈良の今月の平均気温、最高気温、最低気温」の話。「地味さ」から脱却できるような話題ではないがマイペース、マイブームの話題を落ち着いた静かな筆致で読む者の心を捉える。時に取り上げる社会ネタは含蓄に富んでいる。
優れたブログが私の眠っていた脳みそを刺激した。おそるおそる、山菜の季節にブログをスタートさせた。コメントを励みにナントか年末にたどり着いたのだから、私とすれば上出来というものだ。
公私ともにもがき苦しんでいるume蛙ではあるが、先達の薫陶を受けながら、来年も「盆の風だより」を続けるつもりである。愚にもつかないブログを読んで下さった皆々様と数々のコメントを寄せてくださった皆々様、本当にありがとうございました。酔いお年・・じゃなく、でも良いが、良いお年をお迎え下さい。そして、明けたら、『新年、明けまして。おめでとうございます』だ。

ume家の前で25年間働き続けてきた郵便ポスト
日本海の潮風を25年間受けてきた。まだ現役である。
寝そべったままだが起こし方を知らないので、そのままにしておく。
25年間ご苦労様でした。
景気の悪い話はここまでにして、一年を振り返る・・・となるとまた景気の悪い話に逆戻りしそうなので、そこの処は意識的に避けて通ることにする。
4月からブログを始めた。未だにダイアルアップのネット環境、パソコン知識の欠如、極度に遅いキータッチという三大ハンディキャップを考えるとヨロヨロしながらではあるが、ナントかここまで継続してこられたと言うことは「俺って結構たいしたモンじゃん」と評価してもいいのじゃないかと、誰も言わなくても、私が言う。書き殴り、書き散らしの記事ばかりだから、過去ログを読むと赤面するような内容の記事もあるが、削除、抹消もせずに残しておく。
昨年まではブログという言葉さえ知らなかった私が何故急にブログを始めたのか。
たぶんは何かの偶然でたどり着いたYUKI-archさんの「建築家の育住日記」を読み始めたのがことの始まり。田舎住まいの閉塞的な生活を何十年も続けてきた者にとって「建築家の育住日記」はまさにカルチャーショックそのものだった。市井の中にでこんなに博識で、洞察力、分析力にすぐれ、、端正な文章を書いて、しかも決して偉ぶらずの気品に驚いた。井戸の中に長く住んでいるume蛙には大きな驚きだった。「スゲー!」の一言だ。興味を惹かれる記事におそるおそるコメントを入れてみた。返ってきたのである。内藤洋子に書いたファンレターに返事が来たような心持ちである。「育住日記」からsaheizi-inokoriさんの「梟通信」に飛んでみた。また驚いた。「寝たきりおとっつぁん」の私からみれば「チョーウルトラスーパーモノスゲーおとっつぁん」が梟の森から飛び出てきた。能楽堂、寄席、映画、銭湯がよい、食い歩き、それでもまだ時間をもてあますと見えて、ソウルだ上海だ広島だ下北沢商店街だと出かけていく、さらに、私がショートケーキをパクつくような勢いで本を読む。一番驚くのはブログ記事の更新速度、質、量ともにずっしりとした記事が毎日毎日アップされる。こちらはポカンと口を開けるだけ。力強くてエネルギッシュ、小回りもきいてスピードも出る。内容豊富のてんこ盛りのブログだ。とても真似ができないから、目標にさえならない。それでいながら、私のようなヒヨッコブログにも細かい気配りをしてくれる。梟さんの優しい配慮があったからこそ続けることができたumeブログである。梟ブログを起点にあっちこっちのブログを徘徊した。皆さんそれぞれの持ち味を生かした構成と記事に感心する。
suyiryuteiさんの「酔流亭日乗」にも飛んでみた。虚無僧が尺八を吹くようなしゃんと背筋を伸ばした姿勢で、記事を書いているのだろうか、記事を読むたびに姿勢にまで想いが及ぶ文体だ。実のところは「のみ」「のみ」「くい」「くい」「のみ」「くい」「くい」が不連続につながる「飲み食いブログ」でもあるのだが示唆に富んだ社会ネタや時評に感心する。「花まき日記」とあいまったコラボは絶妙だ。
mitsukuさんの「mitsukiのお気楽大作戦」には意表を突かれた。随分長い間、私はmitsukiさんを男だと思いこんでいた。だからどうだというわけではないけれど、妹分になるのであろうかお人形mitsukiちゃんとの野外撮影日記は「よし、おれも」とまでは思わないが、門外漢の私でも充分に楽しめたし、数々の「工作物」にも感心。「徒然草」の翻訳は秀逸だった。
地味ブログ、gakis-roomさんの「楽餓鬼」にも飛んでみた。褒め言葉にはならないのだろうが地味なブログである。話題の中心は「ヘクソカズラ」や「オオイヌノフグリ」の野草の話。加えて、「奈良の今月の平均気温、最高気温、最低気温」の話。「地味さ」から脱却できるような話題ではないがマイペース、マイブームの話題を落ち着いた静かな筆致で読む者の心を捉える。時に取り上げる社会ネタは含蓄に富んでいる。
優れたブログが私の眠っていた脳みそを刺激した。おそるおそる、山菜の季節にブログをスタートさせた。コメントを励みにナントか年末にたどり着いたのだから、私とすれば上出来というものだ。
公私ともにもがき苦しんでいるume蛙ではあるが、先達の薫陶を受けながら、来年も「盆の風だより」を続けるつもりである。愚にもつかないブログを読んで下さった皆々様と数々のコメントを寄せてくださった皆々様、本当にありがとうございました。酔いお年・・じゃなく、でも良いが、良いお年をお迎え下さい。そして、明けたら、『新年、明けまして。おめでとうございます』だ。

ume家の前で25年間働き続けてきた郵便ポスト
日本海の潮風を25年間受けてきた。まだ現役である。
寝そべったままだが起こし方を知らないので、そのままにしておく。
25年間ご苦労様でした。
永遠の三ツ星「ラーメン 「あら川」」
先日の記事で、「100年禁煙」に成功した暁には三ツ星レストランに行く、と書いたが、よく考えてみたら、今回認定された店がそのまま100年後も三ツ星を維持しているとは限らない、と言うことに気がついた。ファーストフードやレトルトフードになじんだ味覚神経は退化の一途を辿っているようでもあるし、そもそも嗜好というものは好みの問題であるから、絶対的評価そのものがなじまない。「どの色が一番良いのか」を決めることができないのと同じことだ。当てにならない「三ツ星」や「公約」に幻想を抱くより、「灯台もと暗し」地元に輝くラーメン屋があったから今日は「私の一番好きなラーメン屋」のことを書くことにした。「100年禁煙」のご褒美はあとでゆっくり考えることにしよう。まだ100年もあるのだから。
都会に住む人たちのブログで「旨いもの処」の紹介する記事をよく目にする。田舎暮らしには目の毒で「いいよなー都会は、旨いものを食わせるところがたくさんあって」とセンボーシットのまなざしで眺めていた。ところが、花まきさんが私の生活圏内にまで押し入ってきて、黒姫の蕎麦名店の紹介記事を書いた。抜かれてしまったのである。地方紙が中央紙に地元ネタを抜かれたようなものである。
ささやかな反撃ということで、ラーメン「あら川」を紹介。まずは店構え

ラーメン屋の店構えとすればおもしろくもなんともない、地味で平凡で主張のない店構えだ。
メニューも紹介する。

メニューの横にあるカレンダーの定休日をマークした赤のマジックインキが唯一彩りを添えているが、実にシンプルで色気のないラインナップである。お品はこれだけ。
肝心のラーメン様。

物語も生まれそうもないフツーのラーメンだ。写真がへたくそというのもあるがあまりにフツー過ぎてコメントのつけようもない
こんなに迫力のない画像とやる気のないようなコメントでは記事にならないので補足説明をする。
おばちゃんと娘さんの母娘のふたりで切り盛りしている店である。メニュー画像を見れば分かるとおりラーメン、わかめラーメンしかない店だ。。チャーシューメンも餃子もない。ラーメンは450円。昔はカレーもあったが粗忽者のおばちゃんがつまづいて足にけがをして静養している時に、一人っきりになった娘さんが一人で二つものメニューをこなすのは大変だと言うことで、カレーはメニューから取り外された。おばちゃんは養生の甲斐あって、厨房復帰したにもかかわらずカレーはメニュー復帰していない。理由は定かではない。カレーがあったときの私の注文はいつもカレーとラーメンのフルコースだった。中村屋のカレーも帝国ホテルのカレーも食べたことはないが私には日本一のカレーだった。今や幻のカレーとなってしまった。
この店にはちょっと変わったシステムがある。17,8のカウンター席しかない店であるにもかかわらず左側半分の席でしかラーメンを食えないのだ。右側のカウンターは左側席に空きができた時に移動するまでの仮の席なのである。入店したら左側に空きがあってもいったんは右側の席に着かなければならない。何故こういうシステムを作ったのか、私には分からない。店は通りから外れたところにあるから一見の客はほとんどいない。メンがなくなると店を閉める。私の見るところはせいぜい50食分のメンしか用意してないようだ。営業は平日の昼のみ。1時に行っても暖簾はもうかかっていない。土日、祝祭日、その他適当な日を休日に加えている。地元の人でも平日のお昼時1時間くらい時間を自由にとれる人でないと食べることができない。母娘ともきわめて愛想がいいということもないが、勘定の際には気持ちのこもった「ありがとうございました」が返ってくる。ラーメンの味はどうかというと、見た目といっしょでフツーである。ことさら際だつ秘伝のタレも、こだわりのスープもあるのかないのか分からない。メニューの札とカレンダー以外に文字らしきものが店内にはないし、母娘から聞いたこともない。スープは押しつけがましい「コク」を強調するわけでもなく、醤油の香りとうま味をうまく引き出したそんなスープだ。ほとんどの人はすべて飲み干す。何年もの間450円の値段は変わっていないから気を利かして「500円にしたら」と提案してみたが「じゃー、あんただけ明日から500円」と返事が返ってきたから、「そりゃ困る」と即刻拒否した。儲けることに不熱心な不思議な店である。
この記事は加筆、訂正前の記事です。メンドーだからそのままにしておきます。コメント欄に言い足りないことを付け加えてありますので読んでネ。
都会に住む人たちのブログで「旨いもの処」の紹介する記事をよく目にする。田舎暮らしには目の毒で「いいよなー都会は、旨いものを食わせるところがたくさんあって」とセンボーシットのまなざしで眺めていた。ところが、花まきさんが私の生活圏内にまで押し入ってきて、黒姫の蕎麦名店の紹介記事を書いた。抜かれてしまったのである。地方紙が中央紙に地元ネタを抜かれたようなものである。
ささやかな反撃ということで、ラーメン「あら川」を紹介。まずは店構え

ラーメン屋の店構えとすればおもしろくもなんともない、地味で平凡で主張のない店構えだ。
メニューも紹介する。

メニューの横にあるカレンダーの定休日をマークした赤のマジックインキが唯一彩りを添えているが、実にシンプルで色気のないラインナップである。お品はこれだけ。
肝心のラーメン様。

物語も生まれそうもないフツーのラーメンだ。写真がへたくそというのもあるがあまりにフツー過ぎてコメントのつけようもない
こんなに迫力のない画像とやる気のないようなコメントでは記事にならないので補足説明をする。
おばちゃんと娘さんの母娘のふたりで切り盛りしている店である。メニュー画像を見れば分かるとおりラーメン、わかめラーメンしかない店だ。。チャーシューメンも餃子もない。ラーメンは450円。昔はカレーもあったが粗忽者のおばちゃんがつまづいて足にけがをして静養している時に、一人っきりになった娘さんが一人で二つものメニューをこなすのは大変だと言うことで、カレーはメニューから取り外された。おばちゃんは養生の甲斐あって、厨房復帰したにもかかわらずカレーはメニュー復帰していない。理由は定かではない。カレーがあったときの私の注文はいつもカレーとラーメンのフルコースだった。中村屋のカレーも帝国ホテルのカレーも食べたことはないが私には日本一のカレーだった。今や幻のカレーとなってしまった。
この店にはちょっと変わったシステムがある。17,8のカウンター席しかない店であるにもかかわらず左側半分の席でしかラーメンを食えないのだ。右側のカウンターは左側席に空きができた時に移動するまでの仮の席なのである。入店したら左側に空きがあってもいったんは右側の席に着かなければならない。何故こういうシステムを作ったのか、私には分からない。店は通りから外れたところにあるから一見の客はほとんどいない。メンがなくなると店を閉める。私の見るところはせいぜい50食分のメンしか用意してないようだ。営業は平日の昼のみ。1時に行っても暖簾はもうかかっていない。土日、祝祭日、その他適当な日を休日に加えている。地元の人でも平日のお昼時1時間くらい時間を自由にとれる人でないと食べることができない。母娘ともきわめて愛想がいいということもないが、勘定の際には気持ちのこもった「ありがとうございました」が返ってくる。ラーメンの味はどうかというと、見た目といっしょでフツーである。ことさら際だつ秘伝のタレも、こだわりのスープもあるのかないのか分からない。メニューの札とカレンダー以外に文字らしきものが店内にはないし、母娘から聞いたこともない。スープは押しつけがましい「コク」を強調するわけでもなく、醤油の香りとうま味をうまく引き出したそんなスープだ。ほとんどの人はすべて飲み干す。何年もの間450円の値段は変わっていないから気を利かして「500円にしたら」と提案してみたが「じゃー、あんただけ明日から500円」と返事が返ってきたから、「そりゃ困る」と即刻拒否した。儲けることに不熱心な不思議な店である。
この記事は加筆、訂正前の記事です。メンドーだからそのままにしておきます。コメント欄に言い足りないことを付け加えてありますので読んでネ。
春よ来い!早く来い!
盆棚の樹も常緑樹を除けばほとんど葉を落としたから、実に殺風景な景色になった。盆棚と言っても、もともと盆栽とも呼べないような木の寄せ集めだから、葉が散り、緑の色彩が消え、骨格だけの姿になると、それぞれの盆樹の貧弱さが浮き彫りになる。立派な盆栽は、寒樹といって葉を落とし、幹と枝だけになっても、なかなかに見応えのある姿で我々を楽しませてくれるが、私の愛樹(みすぼらしくても愛する木々なのだ)は、ろくに餌を与えられないやせ犬のような姿になる。ほとんどが里山で採取した、小さな苗を育てたものだから、盆栽と呼ぶにはまだ早すぎるのだけれど遅々とした歩みの中にも、少しづつ樹形を変え、肉付きが良くなっていく様を見るのは、今や酒を呑み、たばこを吹かす愚息どもと違って、「育てる」ことの喜びを与えてくれる。
ケヤキ、モミジ、ソロ、サルスベリ、トウカエデ、ブナ、ガマズミ、姫リンゴ、マユミ、カマツカ、イチョウ、ウメモドキ、ツルウメモドキ、野バラ、ザクロ、ナツグミ、マンサク、メギ、サンザシ、コフジ、コナラ、クヌギ、野ブドウ。赤い芽を出すまで、あと4か月。春よ早く来い!
ケヤキ、モミジ、ソロ、サルスベリ、トウカエデ、ブナ、ガマズミ、姫リンゴ、マユミ、カマツカ、イチョウ、ウメモドキ、ツルウメモドキ、野バラ、ザクロ、ナツグミ、マンサク、メギ、サンザシ、コフジ、コナラ、クヌギ、野ブドウ。赤い芽を出すまで、あと4か月。春よ早く来い!
禁煙宣言まであと一歩
禁煙しようと思っている。私はいわゆるチェーンスモーカーというやつで、一日60本のタバコを吸う。二十歳の誕生日から吸い始めたから今までにどれくらいの煙を吐き出したか見当もつかない。毎朝、コンビニでフロンティアライトを3箱とBOSSのブラックコーヒーを1缶購入するのが習慣となっていて、締めて1020円の支払いをする。これを一年続けると372、300円になる。10年で3,720,000円。100年だと37,200,000円ということになる。世間の皆さんに迷惑をかけるばかりか、これだけの無駄遣いをすることになるのだから、やめない手はない。過去何べんもやめたことがあるから、禁煙は実績も自信もある。100年間の禁煙に成功した暁には、37,200,000円のうちの幾らかを割いてさんざん苦労をかけた配偶者を伴って三ツ星レストランに行くと、今から決めている。本人にはまだ言っていないが大喜びするだろうな。なーに5万や10万なんて安いものだ。残った金をどうするかは、これからじっくり考えることにする。ミシュランが東京で星の大盤振る舞いをしたのは、風のうわさで聞いているが、残念ながら私には全く縁のない店ばかりで「フーん・・・」という反応しかないのだが、田舎町の料理屋しか知らない私にとって一流の料理屋の味がどんなものであるか想像もできない。
これで計画は整った。あとはいつから禁煙するかを決めれば良いだけだ。さっそく今日から考えよう。
これで計画は整った。あとはいつから禁煙するかを決めれば良いだけだ。さっそく今日から考えよう。
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