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100年ぶりの旅『上州、信州への駆け足小旅行』

週末に上州、信州の小旅行に行ってきた。100年ぶりの旅になる。
出不精である私がたとえ小旅行であっても他県まで足を伸ばすというのは大変な椿事である。日頃の私の行動範囲は、僅かなもので、奈良の大仏さんほどではないにしても、石の地蔵さん並である。今回の旅行にしても、断り切れない仕事がらみの団体旅行だった。
初日は会合だけで一日が終わり、夕刻に上州にある温泉地の宿に着いた。スケジュールの関係で、お茶を飲むまもなく夕飯の時間になってしまった。旅行の楽しみの一つに、宿の夕飯がある。日常から離れた空間の中で呑む酒と彼の地の特産の食材に舌鼓を打つのは、なかなかに魅惑的な時間である。私は酒が呑めないから、「さてどんな料理が出るやら」と、盆の上に並ぶ料理に期待しながら宴席に着いた、というのはウソで、過去の経験に照らし合わせて、まったく期待せずに席に着いた。並んだ料理は、献立までが私の予想通りであった。業務用の半製品であろうカニの甲羅に入ったサメザメとしたグラタン、マグロの赤身とぶりの刺身、小さな鍋に入った「ナントカ鍋」と茶碗蒸、エーとそれから・・・?、一昨日のことだがもう忘れた。品数だけはさらに六、七品もあったであろうか、料金の問題もあるから、極上の料理が出てくるはずはないと承知しているが、それにしてもひどい料理だ。そこには創意も工夫も、努力も、もてなしの心もない、付加価値だけを追求した料理が並んだ。期待していたわけではないから、ガッカリもしなかったし、雑食、大食、早食いの私は文句をつけながらも卓の上の料理らしきものをきれいに平らげて、さっさと部屋に引き上げた。部屋では、朝、コンビニで買った文庫本、宝島社発行の「戦後未解決事件史」を読む。取り上げている事件は、狭山事件、3億円事件、帝銀事件、下山事件、八海事件などなど。このホンで「アナタハン島の女王」事件というものを初めて知った。それにしてもエラク薄味のホンだった。少なくとも二カ所のひどい誤字を発見。宝島社と言えば、昔は意欲的でユニークな出版物があったのだが。
夕飯の仇は朝飯でと言うことで、翌朝、定番朝飯バイキングをたらふく食べて、宿をあとにする。
急性メタボの腹を抱え上州から信州へ。
信州ではまず別所へ。北向き観音を拝んでから安楽寺へ、鎌倉時代に建てられたという国宝「八角三重塔」を腕組みをして見る。当時の建築現場はどんな風であったのだろうか。竣工検査は厳しかったのだろうか。工期をきっちり守らない場合はどんなペナルティーがあったのだろうか。大工の労賃はいかほどだったのか。三重塔の背景にある木々の紅葉が美しい。真っ赤なモミジの葉がひらひらと散る。かわいい実をつけた真弓は当時もこの境内にあったのだろうか。信州には自生しないはずの大きく育った高野槙。紀州から運ばれてきたのか。どれほどの年輪を刻んでいるのか。当時の大工もこの美しい光景を見たのであろうか。しばし古人の営為と木々の生い立ちに思いを馳せる。
時間がない!すぐ近くにある前山寺へ駆け足。樹齢700年のケヤキの大木が出迎えてくれる。どれほどの胴回りなのか。700年が私を圧倒する。ふと大樹の根元を見ると、参拝に訪れた人々から足蹴にされたケヤキの苗が草刈りの餌食にもならず、地に根を張っていた。そっと引き抜く。家に帰ったら六号鉢に植えよう。さて、寺の成り立ちはどうであったか、ホームページを開いてみよう。ン?そんなものどこにも書かれていない。名物「クルミおはぎ」は700円だそうな。

昼飯は近くの観光キノコ園で、キノコ料理。おがくずで育てたシメジ(モドキ)、ナメコ、椎茸。信州まで出かけて食うほどのものではない。シメジ(モドキ)は冷凍して解凍せずにそのまま料理すれば格別にうま味成分が増すと、「・・がってん」で志の輔が言っていた。これくらいの情報キャッチしろよオーナーさん。
お次は上田の「池波正太郎館」による。生原稿、傘ステッキ、自筆の絵、スーツ、いろいろ。。ファンならたまらない品々。館長の説明が丁寧。立ち読みで、「まつや」の項をを読む。フムフムである。ハイ、サヨウナラ。お次は長野博物館で「信玄と謙信展」、入場料500円は高い。ハイ、サヨウナラ。リンゴを買って信州よさらばじゃ。

古き建造物と美しき自然の存在感。薄っぺらな現代人のうごめき。見事なコントラストの旅であった。


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「野菜の横綱」ギブアップ宣言

私は日本で3本の指にはいるくらい「ナス」が好きだ。地味な野菜で、味も食感もこれと言った特徴がなく、水分がほとんどで、栄養もない野菜だから、「ナス好き」と言っても「こよなくナスを愛する者達による平和連合」(ナ平連)といった大きな勢力はできそうにもない。
実は、ずっと棚晒しになって埃を被っている「野菜の横綱」には、強力に「ナス」を推挙する予定だった。しかし、「横綱」は「強靱な体力と個性的な技を持っていなければならない」という社会通念からすると、ナスはいかにも線が細いのだ。「俺が好きだから」という理由では、あまりに説得力のない横綱推挙の弁だ。色が艶やかで独創的、ヘタを持っている、形がユニーク、煮ても、焼いても、生でも食える、特徴をいくつか探し出してみたものの、よく考えてみれば、そんな野菜ははいくらでもある。そんなこんなで、ひいきの野菜を強引に横綱に推挙できないことを悟った私は、横綱審議委員長としての使命感がだんだんと萎えてきた。知らんぷりを決め込んで、そーっと「野菜のランキング」欄を外してしまおうかとも考えたのだけれど、ここは潔く「も う し わ け あ り ま せ ん」とコウベを10秒ほど垂れた上でのギブアップ宣言をすることにする。「野菜の横綱」は終章を迎えることなくすごすごと退散だ。
さて、しかしだ、ナスの話はまだ続く。今年の我が家の自家栽培のナスは近年にない不出来だった。毎年春先に、私はナス栽培責任者(母)に「他の野菜はどうでも良いから、ナスだけはくれぐれも粗相のないように扱い、身の締まった艶やかなナスを生産してほしい」旨を申しつける。さらに、長雨がたたったとか、日照時間が少なかったとか、日照りで水不足だったとかは言い訳だから、どんな気候になってもナスにとって最適な環境を作るよう付け加える。
ところが、2007年度のナスはひどく不作で品質も悪く、私をガッカリさせた。しかも、あれほど強く言ったにもかかわらず、母は「猛暑による水不足」を不作の理由に挙げ、言い逃れしようとした。「水分不足なら、毎日水遣りをすればいい」と、至極もっともな指摘をしたのだけれど、「それならお前がやればいい」とこれまた至極もっともな反論の言葉だ返ってきた。
「盆栽の水遣りは毎日やっているのだから」とさらに追い打ちを掛ける。
盆栽は家の裏にあるから、水遣りはさほど手間もかからないし、何より本日のご機嫌がどうであるかのお伺いを立てる必要があるので、手抜きをするわけにはいかないが、ナス畑は車で5分ほどの裏山まで登らなければならないから、エネルギーの消費が随分違う。母はさらにたたみかける。「だいたいお前は今年ソバを蒔いて秋になったら旨い蕎麦を食べさせてあげると言ったけど、あの話は一体どうなった?」
一挙に私の方が形勢不利になってきた。、討論会を打ち切るより仕方ない。討論会の流れからすると、来年からは私がナス栽培責任者にならなければいけないようだ。            つづく

次回は『お薦めナス料理』

『俺たちおじさんには歌う唄がない』

自慢じゃないが、絵もへた、字もへただ。そして、極めつけの方向音痴でもある。
方向音痴は、字もへた、絵もへただ。頭の中で考える線の方向性が、正確に具現化できないからだ。(と思う)どんな風に書こうか(描こうか)と、美しくまとめた形は頭の中で出来上がっているが、脳から手に伝達するための信号が、どこかで混線してしまうので、紙の上に描き出されたものは、奇妙奇天烈なものになってしまう。学問的に当てはまるかどうかは分からないが、方向感覚と字や絵のうまい、へたは関連性があるような気がする。鮭が絵を描けばうまいはずだ。

悲しいことに、私は唄もへただ。音程が狂うし、リズム感がない。リズム感のない者は、俳句も、短歌も、詩も上手く作れない。5,7,5と指を折りながらでは、俳句や短歌のもつ心地よいリズムが生まれない。詩も同様だ。つまり、歌の下手な人は、俳句や、短歌、詩が苦手ということになる。逆もまた真なりで、俳句や短歌をサクッと簡単に作ってしまう人は歌もうまいはずだ。
だから、酔流亭さんもsaheiziさんもたぶん歌がうまいに違いない。「よし、俺だって」と、かつて何度か俳句や短歌に挑戦したことがあるが一句、一首もできなかった。

私の若い頃で、野坂昭如や小沢昭一、永六輔がまだ中年だった頃、この3人は「中年御三家」と呼ばれていた。どんな唄かは忘れたが、小沢昭一には「ハーモニカがほしかったんだよ」と「俺たちおじさんには歌う唄がない」という持ち歌があった。今日、車の中で不意にこんなことを思いだした。
二年に一回くらいのペースでカラオケに行くことがあるが、音痴だから、自ら進んで歌うことはない。順番が回ってくると、断ってばかりもいられないから、意を決してマイクをにぎらなければならない。
しかし、歌詞カードをなんべんひっくり返してみても、私には歌う唄がないのだ。こんな時のために、私にぴったりのオリジナルの唄を用意できればいいのだが、そんな唄は誰も作ってくれない。ならばと、家に帰る車の中で、即興で歌を作った。詞だけではない。曲だってちゃんと作ったのだ。どこかで聴いたことがあるような気もするし、明日また、同じメロディーが出てくるか分からない。残念ながら、ブログでは唄も曲も披露できない。せっかくだから、へたな詞を披露する。習作だから細かいケチはつけないでほしい。一番はわりとすらすらできたのだが、韻を踏むことまで意識したら二番はいくら考えても言葉が出て来ない。だから、二番はごまかした。タイトルは小沢昭一の唄をそのままいただいた。


     『
      俺たちおじさんには歌う唄がない』


1 俺たちおじさんには 歌う唄がない

はやりの唄は 覚えられないし

昔の唄は 忘れてしまった

しょうがないから 自分で作ってみたけど

華のない人生だから 歌う詞(うた)もない

若い頃に 何を考えていたとか
    
     何をして遊んだとか

どんな娘(こ)を好きになったとか

どんな夢を持っていたとか

唄にならない詞(うた)ばかり


2 俺たちおじさんには歌う唄がない

恋の歌は リアルじゃないし

涙の唄は 棄ててしまった

しょうがないから 自分で作ってみたけど

華のない人生だから 歌う詞(うた)もない


若い頃に 何を考えていたとか
 

     何をして遊んだとか
     

     どんな娘(こ)を好きになったとか

     どんな夢を持っていたとか
     
     唄にならない詞(うた)ばかり


     




20年ぶりのクラス会のご案内

『唐突に、しかも、かなり気の早い「クラス会開催のご案内」です。正確に言えば「クラス会開催のご案内」の予告篇と言うことになります。2008年開催のクラス会なら、年が明けてからのご案内が常識でありましょうが、ある事情から早めの「クラス会のご案内」を送付することにしました。

地元に住んでいる人はもちろん、遠隔地に住んでいる人にもこの度の「中越沖地震」は大きな衝撃を与えました。しかし、幸いにも上越市は揺れの大きさに比べて大きな被害もなく、みなさんもさぞやホッと胸をなで下ろしたことでしょう。私自身もせいぜい安物の焼き物の人形がサイドボードの上から落っこちて割れた程度の被害で済みました。

ところが、震災から数週間を経た頃、ミウラ君より連絡があり、我々の恩師であるタカハシ先生の住まいが修復不能の大きな被害を受け、ご子息の住む札幌に引っ越しされるとの情報が寄せられました。引っ越しまで数日しかないことから、先日、連絡のついた仲間だけで、お見舞いとお別れに伺ってきました。私は20年以上も先生にお会いしていなかったのですが、20年以上前のタカハシ先生そのまんまのお姿を見てホッとしました。しかし、もう80近い高齢で、彼の地に旅立つ不安と、慣れ親しんだこの地を去る寂しさを訴える先生に名残惜しさを感じながら、、お別れしてきました。

先生とお別れしてから数日後、ちょうど良い機会でもあったので、連絡を取り合って、久しぶりに、地元に住むクラスの仲間7人が集まり旧交ををあたためました。集まった仲間は、ミウラ、ササガワ、カナヤマ、イトウ、サトウ、オオタ、そして私です。何年かぶりで会った仲間ですが、酒の力を借りながらすぐに放課後の教室の雰囲気で盛り上がりました。サトウ君の話によれば、もうすでに20年間クラス会をしていないそうです。しかも来年は節目の卒業から40年目に当たるそうで、「来年は是非ともクラス会を開かなければならない」と話がまとまりご案内を差し上げることになった次第です。しかも、20年前のクラス会の幹事だったサトウ君が妙なことを言い出しました。「20年前、次の幹事はお前だといったはずだ」と私を指さしたのです。昨日のことも忘れているのに20年前のことを私が覚えているはずもありません。強く否定したものの他の5人も私を指さして「ume、お前が幹事だ」と同調したために引くに引けない立場になりました。

そういうことで「昨日のことも忘れる私」ですから、ちょっと早いのですが、忘れないうちに「クラス会のご案内」をお送りすることに相成った次第であります。いつ、どこではまだ決まっておりません。坊さんのカナヤマ君のたっての願いで「かき入れ時のお盆は避けてくれ」との申し入れがありますので、考慮した上で、ご希望の日時、場所をご連絡下さい。              ume』

忘れないうちに投函しましょう。

埋もれていた才能

200709300001.jpg

●この能面はもちろん私が彫ったものではない。近所の農家のじいちゃんが彫ったものである。「暇に任せて彫ってみた。ほしいなら持ってけ」と言うから「はいよ」と言って貰ったものだ。私にはこの種の才能がない。人間の才能というものはいろいろ細分化されており、「俺には何の才能もない」という人も探し出せば常人にはないとんでもない才能を持っていることもある。しかし、その才能をなかなか見つけだすことができないこともある。このじいちゃんもたまたま子供が使わないままに放り投げておいた彫刻刀を手すさびに、間伐材の木に、目的もなく彫ってみたら、お面が出来上がってしまい、よく見たら、結構な出来映えで、「俺にこんな才能があったとは?!」と驚き、それならばと、写真を見ながらその気になって本格的に彫ってみたのがこの能面である。70を過ぎてから発見した才能だったから、いくつも作品を完成させないまま亡くなってしまったのは残念である。

ひょっとしたら私にも発見できないままに埋もれている特異な才能があるかもしれない。
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