ume小間物工事店が儲らない理由(わけ)

まとまった仕事はそんなわけにもいかないが、小工事の場合は、承認されるかどうかは別として、工事金額はこちら側で決めさせてもらう。どんな金額設定をしようが私の腹づもり一つということになる。設定が高ければ高いほど当店は潤う。仕事柄どちらかというと、リピーターよりは一見の客が多いから、後先考えなければ、かなりの高値設定ができる。「そこそこの仕事をして、なるべくたくさんの金をいただく」という「儲けるための基本その1」に従えば儲けることはそんなに難しいことではない。この「基本1」さえ忠実に守れば、そこそこの利益が稼げるのだ。しかし、そうは問屋が卸さない。たとえば先日こんな事があった。
仕事の依頼主は87歳のばあちゃん。初めてのお客だ。新年早々ボイラーが壊れて風呂に入れないから大至急ボイラーの入れ替えをしてほしいとのこと。その日はたまたま他にもボイラーの入れ替え工事があったから、「ちょっと遅くなるけど、今日中に何とかするから」と返事をして先約のお客の仕事を先に片付ける。予想より手間が食って、ばあちゃんちに到着したときはもう暗くなっていた上に、いかにも面倒そうな取り付け状況だ。屋外作業も伴う仕事だから、ガタガタ震えるような寒さで、気持ちも萎える。「ばあちゃん、仕事明日でもいかな」の言葉をすんでのところで飲み込む。どんな風に取り付けるか確認すると、「おマンタに任せるから良いようにやってくんナイ」とのこと。「ハイよ」の返事で仕事に取り掛かる。仕事が終わったのは8時過ぎ。体が芯まで冷えた。こういうときは早く家に帰って、温かい牛乳を飲んで、藤沢周平を携え、熱い風呂にはいるのが一番だが、そんなわけにはいかない。取扱説明をしなければならない。ところが、一人暮らしの87歳に最新鋭の機器の説明をするのは大変。のっけから、「もうろくしているから、面倒なのは分からん」と機先をを制せられる。説明開始。
「左側にあるこの運転ボタンを押すとキュートーできるし、好みのキュートー温度にするにはこのボタンを押して、左側のデジタル表示の数字を好みの温度に設定して、風呂の張り込みをするにはこの自動と書いてあるボタンを押して、水位の設定はこのボタンを押して、沸き上げの温度の設定は、、、、」「・・・・・」ばあちゃんは何の反応も示さない。こんな説明では分かるわけはないよね、ばあちゃん。心配無用。実はわたくし高齢者への取扱説明は得意分野なんだから。猫でも分かるように取扱説明のやり直し。

こういうとき大事なのは、実際の操作はお客さんにやってもらって、私は操作方法を教えるだけにすることと、操作結果を一つ一つ確認してもらうこと。日頃使わない機能は説明しないこと。説明が終わったらもう一度、お客さん自身の手でおさらいの操作をしてもらうこと。
これでOKです。「ほほーん、ははーん」と言いながらばあちゃんも納得の様子。これでばあちゃんも一安心。ばあちゃんは「今お茶の用意するから」と言って奥へ消える。本当は早くうちへ帰って、牛乳を、と思ったが、お茶のお供をすることにした。お茶のお供もサービスの一環だ。一人暮らしのはずなのに奥の方から「コラー!戸を締めろ」の大きな声。「お茶入ったよ」の呼びかけで茶の間へ。「コラー!」の相手が判明。猫だった。「こいつはなんべん言っても戸を開けても締めないから」笑いながら言う。まだ生後間もない猫だ。「こいつを看取ってやらないとね」猫の平均寿命は15歳くらいだから、この猫を最後まで看取るには、ばあちゃんは100歳を超える。大丈夫だろう、ばあちゃんなら。お茶請けに出された白菜漬けで、しばし談笑。「近頃ボケてきた」と盛んに言う。「ばあちゃん、俺も近頃大分ボケてきた」「オマンまだ若いすけそんなことないだろう」「いやそんなこととがあるんだね、これが。直にばあちゃんに追いつくから待っててね」しばらくボケ談義する。そうこうしているとばあちゃんはボケ防止のために娘さんから買ってもらったというカラオケセットを器用にセッティングする。流れてきたのは三橋三智也の「たっしゃでな」だった。「一つ歌ってくんない」「ばあちゃん、俺ダメだ。ちーちーぱっぱしか歌えないから」と固辞すると自分で歌い出した。いやいやなかなか味わいのある唄だった。ごちそうさまを言って、おいとましようとしたら、石油ストーブが目に入る。「ばあちゃんいいかね、ストーブの側に燃えるようなものを絶対に置いてはいけないよ。鍋をかけたまま側を離れてもいけないよ」と一言おせっかいを言うとばあちゃんは「金、すぐ払うから、早く請求書持ってきてくんナイ」と言う。「いいかね、損しなんな」と付け加える。「分かったよ、いっぱい儲けるから」と答えると、「いっぱいは困る」というモンだから、「じゃーちょっとだけ」「それならいい」と手を打ってくれる。ボイラーの耐用年数を訊いてきたから「まあ15年くらいだろう」と答える。「このボイラーまた壊れたら頼むよ」とありがたいお言葉。「ありがとう、その時は是非、当店へ」その時はばあちゃんは102歳かあ。ぜひとも長生きしてもらわなければ。
どう見ても余裕のある生活でもなさそうだったし、お茶をご馳走にもなったから、「こんなものしておこうか」と遠慮気味の金額を考えながら、家路につく。とても儲かるという金額ではないが、今度金持ちの家の仕事をしたら、足りない分を少し上乗せしておこうと言うことにした。
まあしかし、世の中は私の計算通りには事が運ばないい。「フユー層ほど出し渋る」という「フユー層ケチの法則」があるのだ。彼らは、徹底的に値切ってくる。コッチの採算性なんてのはどうでも良いことだから、値切り方に容赦はない。間違っても「損するなネー」とは言わない。私なんぞは敵でない。手もなく捻られて、勝負あり。「コッチの赤字をアッチで補填」はなかなかうまくいかない。フユー層と五分の勝負をするには、まだ私は修行が足りない。かくして、ume小間物工事店の「どんなお客と出会っても、結局は儲からない」と言う図式が出来上がる。

第二種電気工事士不合格!!

嬉しい知らせでないので何となく報告を躊躇していたが、たまたまmitsukiさんのブログで受験の記事が載っていて、流れの良い文章につい乗っかり、コメント欄で不合格の告白をしたのだが、やっぱりこういうことは自分のブログできちっと報告しなければならない。いろいろな事情から「電気工事士」の資格の必要性を感じて、声高らかに受験宣言をしたのは良いが、「学科」こそナントか合格したものの、実技は受験さえしなかった。受験日はちょうど「中越沖地震」の1週間後で、「いやぁー、地震の影響で受験できなくてサー」と言ってごまかす手もあったのだが、ジョージ・ワシントンの例を引くまでもなく、「人を欺いてはいけない」という古来からの教えに従い、正直に告白することにした。
受験日が近づいてきたのに、引き渡しの現場がいくつか重なり、ウメの手も借りたいほどの忙しさで、仕事が間に合わず、このままでは「ケツを割る」ことにもなりかねない状態に陥り、結局受験を犠牲にした。幸いにも[ume超零細小間物工事店]代表で受験した若者は合格。私は来年再受験することにした。我々工事業者にとって[引き渡し」に間に合わせるというのは最重要項目で、親が死のうがオヤシラズが痛もうが絶対守らなければならない。過去ログでも書いたので、[くどいくどき話」になってしまうが、雪国の宿命で、4〜5か月続く開店休業状態の冬期間のマイナスを残りの7〜8か月で穴埋めしなければならない。いかにもしんどいのだが、好んでこの地に住んでいるのだからしょうがない。これから暮れにかけてが特に忙しい。今週は、世間では3連休の暦周りだが、私は世間の仲間には入てもらえず、3連勤。「くどいくどきばなしの繰り返し」はここまで。言い訳になってしまった。ご期待に添えずゴメンナサイ.saheiziさん。酔流亭さん。


それにしてもこのくそ忙しいときに日本国の最高権力者が「首相辞任」のとんでもないニュースを提供してくれた。私が新聞社の植字工ならこっそりと[辞任]の二文字を[逃亡]に差し替えてやるところだが、その頃私は屋根の上で背に太陽の熱線、顔には融雪パネルの照り返し熱線を浴びて、トースト状態だった。おかげで「日焼けサロン」に行かなくて済む。ありがたいことだ。と話を逸らしちゃいけない。
つい数日前までえらそうに、もっともらしい講釈を垂れていた男の話をつづける。と言いながらも安倍本人は逃亡していなくなったから、もうどうでも良いが、「安倍政権」実現のために奔走した自民党の先生方や文春のアンケートで「やはり安倍でしょう」とのたもうた経済人、チシキ人、政治評論家のみなさま、さて、このオトシマエどう付けてくれますか?ムチな国民をオルグしようとしたのだから、ここはきっちりと反省文でも書いて、朝日新聞に全面広告を掲載してほしい。費用分担、割り勘の連名でも良いが、署名はなるだけ大きな文字で。
小泉退陣後の次期政権は「安倍がベストだ」と「反省文の人たち」がアッチコッチでガーガーいうものだから、てっきり私の目は節穴で、人を見る目がないのかと自信を失いかけてしまった。「トッチャンボーヤ」の風貌と雰囲気は見せかけだけで、本当は「すごい男」なのかもしれないとうっかり思い始めていたのだが、私の目は節穴ではなかったようだ。。それにしても日本は人材不足のようだ。本当にこんな人しかいなかったのか?これほど多くの人をコケにした人いないだろう。ギネスもんだね。日本国民は完璧にコケにされた。「私が「新明解国語辞典」の植字工なら「コケにされる」=「所信表明演説の数日後に首相がトンずらすること」と活字を差し替える。

30年も前の話だが、「スイッチポンでそこそこの米を炊きあげるのが文明で、〈うまく炊けますように〉と祈りながら炊きあげるのが文化」と言ったのは、たしか永六輔だっただろうか。この伝に従えば間違いなく日本の文化は衰退している。「民度は文化に比例する」と言ったのはだれか?私だ。隔離されたところでは文化は確かに存在する。歌舞伎も能も落語ももある。しかし、それは能楽堂や歌舞伎座や寄席や文化ホールに足を運ばなければ触れることが出来ない。日常の中で、われわれはどれほどの文化に触れることが出来るのか・最大メディアのテレビを観るが良い。朝から晩までがなり立てている。文化を育むような祈りがどこにあるのか。この数年〈小泉のようなもの〉や〈安倍のようなもの〉にじわじわと浸食されてきた日本。〈政治は民度の鏡〉と言ったのは誰か。私だ。〈コイズミモドキ〉「アベモドキ」が私の周りで増殖している。このまま放っておけば「モドキ」は増殖し続けるだろう。
と、ここまで書いて何を言いたいのか分からなくなってきた。とんでもなくまとまりのない文章になった。画竜点睛は私の常だが明日の朝は4時起きだ。そうしないと仕事が間に合わない。続きは明日か明後日か明明後日か。あるいはもっと後かな。