禁煙生活
今日はめい犬ウメが記事を書きます。
年が明けてからというもの、部屋の中をうろうろ動き回ったり、爪楊枝をしゃぶったり、あめ玉を舐めたりと、どうも親方に落ち着きがない。アタシが思うにこれは明らかなニコチン切れの禁断症状だ。親方の禁煙宣言を知っているのは家族ではアタシだけだから、いつも通りにたばこを吸っても、誰も咎め立てするはずないのだから、ゴミ箱でシケモクなんか探さないで、さっさとたばこを買いに行けばいいのに。あんなにイライラしていたら絶対に健康に良くないと思う。あと3日もすれば、」禁煙宣言撤収宣言」の記事をアップすることになりそうな気配がそこはかとなく漂ってくる。
ume「コラーッ、余計なことを書くなウメ。私は悠々と禁煙ゲームを楽しんでいることになっているのだから。」
「ウメ「だって、親方を見ていると、なんだかとっても辛そうだから、そろそろギブアップした方がいいのじゃないかと・・・」
ume「うるさい!物事を成し遂げると言うことはお前が考えるほど生やさしいものではない。お前がいくら同情の言葉を私に投げかけてくれても、それはけっして優しい慈愛に満ちた言葉にはならない。悪魔のささやきなのだ。だから、私のことは放っておいてくれ。」
ウメ「分かったわ。でも、ミルキーをあんまり舐めすぎない方がいいと思うわ。 (親方は 禁煙ならず 虫歯増え)って事にならないようにね!」
年が明けてからというもの、部屋の中をうろうろ動き回ったり、爪楊枝をしゃぶったり、あめ玉を舐めたりと、どうも親方に落ち着きがない。アタシが思うにこれは明らかなニコチン切れの禁断症状だ。親方の禁煙宣言を知っているのは家族ではアタシだけだから、いつも通りにたばこを吸っても、誰も咎め立てするはずないのだから、ゴミ箱でシケモクなんか探さないで、さっさとたばこを買いに行けばいいのに。あんなにイライラしていたら絶対に健康に良くないと思う。あと3日もすれば、」禁煙宣言撤収宣言」の記事をアップすることになりそうな気配がそこはかとなく漂ってくる。
ume「コラーッ、余計なことを書くなウメ。私は悠々と禁煙ゲームを楽しんでいることになっているのだから。」
「ウメ「だって、親方を見ていると、なんだかとっても辛そうだから、そろそろギブアップした方がいいのじゃないかと・・・」
ume「うるさい!物事を成し遂げると言うことはお前が考えるほど生やさしいものではない。お前がいくら同情の言葉を私に投げかけてくれても、それはけっして優しい慈愛に満ちた言葉にはならない。悪魔のささやきなのだ。だから、私のことは放っておいてくれ。」
ウメ「分かったわ。でも、ミルキーをあんまり舐めすぎない方がいいと思うわ。 (親方は 禁煙ならず 虫歯増え)って事にならないようにね!」
明けましたら おめでとう ございます
2007年が終わろうとしている。みなさんはどんな年だっただろうか。私は生業である工事業がとんでもない逆風に晒されて、四苦八苦で年の瀬を迎えている。ここ数年かなりの逆風を感じていたが、今年はいろいろな悪条件が重なり、逆風の度合いがぐんと増した。嘆いていてもしょうがない。ヨットやスキーのジャンプ競技のように逆風を利用してその推進力を増す方法もあるようだが、私にはそんな技術も知恵もない。現実的に考えて、時にビルの物陰で風を避けたり、猫の尻にくっついて風当たりを弱めたりしながらもナントか折り返し点まで早く到達して、「逆風も、折り返し過ぎれば、順風だ」のマラソンに倣って突き進むより手はなさそうだ。穏やかな感慨に耽る年の瀬は迎えられそうもない。新たなる闘志をかき立てる年の瀬なのである。それなりに「荒天準備」をしていたつもりではあるが、世の中のテンポは速い。新自由主義の流れの中に取り残された枯れ葉のごとく、我が行方見定めることもできずプカプカ浮かんでるだけ・・・と言っちゃぁいけないぞ、枯れ葉にも五分の魂、があるのかどうか知らないが、魂にちょっと気合いを入れて新年を迎えるとしよう。
景気の悪い話はここまでにして、一年を振り返る・・・となるとまた景気の悪い話に逆戻りしそうなので、そこの処は意識的に避けて通ることにする。
4月からブログを始めた。未だにダイアルアップのネット環境、パソコン知識の欠如、極度に遅いキータッチという三大ハンディキャップを考えるとヨロヨロしながらではあるが、ナントかここまで継続してこられたと言うことは「俺って結構たいしたモンじゃん」と評価してもいいのじゃないかと、誰も言わなくても、私が言う。書き殴り、書き散らしの記事ばかりだから、過去ログを読むと赤面するような内容の記事もあるが、削除、抹消もせずに残しておく。
昨年まではブログという言葉さえ知らなかった私が何故急にブログを始めたのか。
たぶんは何かの偶然でたどり着いたYUKI-archさんの「建築家の育住日記」を読み始めたのがことの始まり。田舎住まいの閉塞的な生活を何十年も続けてきた者にとって「建築家の育住日記」はまさにカルチャーショックそのものだった。市井の中にでこんなに博識で、洞察力、分析力にすぐれ、、端正な文章を書いて、しかも決して偉ぶらずの気品に驚いた。井戸の中に長く住んでいるume蛙には大きな驚きだった。「スゲー!」の一言だ。興味を惹かれる記事におそるおそるコメントを入れてみた。返ってきたのである。内藤洋子に書いたファンレターに返事が来たような心持ちである。「育住日記」からsaheizi-inokoriさんの「梟通信」に飛んでみた。また驚いた。「寝たきりおとっつぁん」の私からみれば「チョーウルトラスーパーモノスゲーおとっつぁん」が梟の森から飛び出てきた。能楽堂、寄席、映画、銭湯がよい、食い歩き、それでもまだ時間をもてあますと見えて、ソウルだ上海だ広島だ下北沢商店街だと出かけていく、さらに、私がショートケーキをパクつくような勢いで本を読む。一番驚くのはブログ記事の更新速度、質、量ともにずっしりとした記事が毎日毎日アップされる。こちらはポカンと口を開けるだけ。力強くてエネルギッシュ、小回りもきいてスピードも出る。内容豊富のてんこ盛りのブログだ。とても真似ができないから、目標にさえならない。それでいながら、私のようなヒヨッコブログにも細かい気配りをしてくれる。梟さんの優しい配慮があったからこそ続けることができたumeブログである。梟ブログを起点にあっちこっちのブログを徘徊した。皆さんそれぞれの持ち味を生かした構成と記事に感心する。
suyiryuteiさんの「酔流亭日乗」にも飛んでみた。虚無僧が尺八を吹くようなしゃんと背筋を伸ばした姿勢で、記事を書いているのだろうか、記事を読むたびに姿勢にまで想いが及ぶ文体だ。実のところは「のみ」「のみ」「くい」「くい」「のみ」「くい」「くい」が不連続につながる「飲み食いブログ」でもあるのだが示唆に富んだ社会ネタや時評に感心する。「花まき日記」とあいまったコラボは絶妙だ。
mitsukuさんの「mitsukiのお気楽大作戦」には意表を突かれた。随分長い間、私はmitsukiさんを男だと思いこんでいた。だからどうだというわけではないけれど、妹分になるのであろうかお人形mitsukiちゃんとの野外撮影日記は「よし、おれも」とまでは思わないが、門外漢の私でも充分に楽しめたし、数々の「工作物」にも感心。「徒然草」の翻訳は秀逸だった。
地味ブログ、gakis-roomさんの「楽餓鬼」にも飛んでみた。褒め言葉にはならないのだろうが地味なブログである。話題の中心は「ヘクソカズラ」や「オオイヌノフグリ」の野草の話。加えて、「奈良の今月の平均気温、最高気温、最低気温」の話。「地味さ」から脱却できるような話題ではないがマイペース、マイブームの話題を落ち着いた静かな筆致で読む者の心を捉える。時に取り上げる社会ネタは含蓄に富んでいる。
優れたブログが私の眠っていた脳みそを刺激した。おそるおそる、山菜の季節にブログをスタートさせた。コメントを励みにナントか年末にたどり着いたのだから、私とすれば上出来というものだ。
公私ともにもがき苦しんでいるume蛙ではあるが、先達の薫陶を受けながら、来年も「盆の風だより」を続けるつもりである。愚にもつかないブログを読んで下さった皆々様と数々のコメントを寄せてくださった皆々様、本当にありがとうございました。酔いお年・・じゃなく、でも良いが、良いお年をお迎え下さい。そして、明けたら、『新年、明けまして。おめでとうございます』だ。

ume家の前で25年間働き続けてきた郵便ポスト
日本海の潮風を25年間受けてきた。まだ現役である。
寝そべったままだが起こし方を知らないので、そのままにしておく。
25年間ご苦労様でした。
景気の悪い話はここまでにして、一年を振り返る・・・となるとまた景気の悪い話に逆戻りしそうなので、そこの処は意識的に避けて通ることにする。
4月からブログを始めた。未だにダイアルアップのネット環境、パソコン知識の欠如、極度に遅いキータッチという三大ハンディキャップを考えるとヨロヨロしながらではあるが、ナントかここまで継続してこられたと言うことは「俺って結構たいしたモンじゃん」と評価してもいいのじゃないかと、誰も言わなくても、私が言う。書き殴り、書き散らしの記事ばかりだから、過去ログを読むと赤面するような内容の記事もあるが、削除、抹消もせずに残しておく。
昨年まではブログという言葉さえ知らなかった私が何故急にブログを始めたのか。
たぶんは何かの偶然でたどり着いたYUKI-archさんの「建築家の育住日記」を読み始めたのがことの始まり。田舎住まいの閉塞的な生活を何十年も続けてきた者にとって「建築家の育住日記」はまさにカルチャーショックそのものだった。市井の中にでこんなに博識で、洞察力、分析力にすぐれ、、端正な文章を書いて、しかも決して偉ぶらずの気品に驚いた。井戸の中に長く住んでいるume蛙には大きな驚きだった。「スゲー!」の一言だ。興味を惹かれる記事におそるおそるコメントを入れてみた。返ってきたのである。内藤洋子に書いたファンレターに返事が来たような心持ちである。「育住日記」からsaheizi-inokoriさんの「梟通信」に飛んでみた。また驚いた。「寝たきりおとっつぁん」の私からみれば「チョーウルトラスーパーモノスゲーおとっつぁん」が梟の森から飛び出てきた。能楽堂、寄席、映画、銭湯がよい、食い歩き、それでもまだ時間をもてあますと見えて、ソウルだ上海だ広島だ下北沢商店街だと出かけていく、さらに、私がショートケーキをパクつくような勢いで本を読む。一番驚くのはブログ記事の更新速度、質、量ともにずっしりとした記事が毎日毎日アップされる。こちらはポカンと口を開けるだけ。力強くてエネルギッシュ、小回りもきいてスピードも出る。内容豊富のてんこ盛りのブログだ。とても真似ができないから、目標にさえならない。それでいながら、私のようなヒヨッコブログにも細かい気配りをしてくれる。梟さんの優しい配慮があったからこそ続けることができたumeブログである。梟ブログを起点にあっちこっちのブログを徘徊した。皆さんそれぞれの持ち味を生かした構成と記事に感心する。
suyiryuteiさんの「酔流亭日乗」にも飛んでみた。虚無僧が尺八を吹くようなしゃんと背筋を伸ばした姿勢で、記事を書いているのだろうか、記事を読むたびに姿勢にまで想いが及ぶ文体だ。実のところは「のみ」「のみ」「くい」「くい」「のみ」「くい」「くい」が不連続につながる「飲み食いブログ」でもあるのだが示唆に富んだ社会ネタや時評に感心する。「花まき日記」とあいまったコラボは絶妙だ。
mitsukuさんの「mitsukiのお気楽大作戦」には意表を突かれた。随分長い間、私はmitsukiさんを男だと思いこんでいた。だからどうだというわけではないけれど、妹分になるのであろうかお人形mitsukiちゃんとの野外撮影日記は「よし、おれも」とまでは思わないが、門外漢の私でも充分に楽しめたし、数々の「工作物」にも感心。「徒然草」の翻訳は秀逸だった。
地味ブログ、gakis-roomさんの「楽餓鬼」にも飛んでみた。褒め言葉にはならないのだろうが地味なブログである。話題の中心は「ヘクソカズラ」や「オオイヌノフグリ」の野草の話。加えて、「奈良の今月の平均気温、最高気温、最低気温」の話。「地味さ」から脱却できるような話題ではないがマイペース、マイブームの話題を落ち着いた静かな筆致で読む者の心を捉える。時に取り上げる社会ネタは含蓄に富んでいる。
優れたブログが私の眠っていた脳みそを刺激した。おそるおそる、山菜の季節にブログをスタートさせた。コメントを励みにナントか年末にたどり着いたのだから、私とすれば上出来というものだ。
公私ともにもがき苦しんでいるume蛙ではあるが、先達の薫陶を受けながら、来年も「盆の風だより」を続けるつもりである。愚にもつかないブログを読んで下さった皆々様と数々のコメントを寄せてくださった皆々様、本当にありがとうございました。酔いお年・・じゃなく、でも良いが、良いお年をお迎え下さい。そして、明けたら、『新年、明けまして。おめでとうございます』だ。

ume家の前で25年間働き続けてきた郵便ポスト
日本海の潮風を25年間受けてきた。まだ現役である。
寝そべったままだが起こし方を知らないので、そのままにしておく。
25年間ご苦労様でした。
禁煙宣言まであと一歩
禁煙しようと思っている。私はいわゆるチェーンスモーカーというやつで、一日60本のタバコを吸う。二十歳の誕生日から吸い始めたから今までにどれくらいの煙を吐き出したか見当もつかない。毎朝、コンビニでフロンティアライトを3箱とBOSSのブラックコーヒーを1缶購入するのが習慣となっていて、締めて1020円の支払いをする。これを一年続けると372、300円になる。10年で3,720,000円。100年だと37,200,000円ということになる。世間の皆さんに迷惑をかけるばかりか、これだけの無駄遣いをすることになるのだから、やめない手はない。過去何べんもやめたことがあるから、禁煙は実績も自信もある。100年間の禁煙に成功した暁には、37,200,000円のうちの幾らかを割いてさんざん苦労をかけた配偶者を伴って三ツ星レストランに行くと、今から決めている。本人にはまだ言っていないが大喜びするだろうな。なーに5万や10万なんて安いものだ。残った金をどうするかは、これからじっくり考えることにする。ミシュランが東京で星の大盤振る舞いをしたのは、風のうわさで聞いているが、残念ながら私には全く縁のない店ばかりで「フーん・・・」という反応しかないのだが、田舎町の料理屋しか知らない私にとって一流の料理屋の味がどんなものであるか想像もできない。
これで計画は整った。あとはいつから禁煙するかを決めれば良いだけだ。さっそく今日から考えよう。
これで計画は整った。あとはいつから禁煙するかを決めれば良いだけだ。さっそく今日から考えよう。
『俺たちおじさんには歌う唄がない』
自慢じゃないが、絵もへた、字もへただ。そして、極めつけの方向音痴でもある。
方向音痴は、字もへた、絵もへただ。頭の中で考える線の方向性が、正確に具現化できないからだ。(と思う)どんな風に書こうか(描こうか)と、美しくまとめた形は頭の中で出来上がっているが、脳から手に伝達するための信号が、どこかで混線してしまうので、紙の上に描き出されたものは、奇妙奇天烈なものになってしまう。学問的に当てはまるかどうかは分からないが、方向感覚と字や絵のうまい、へたは関連性があるような気がする。鮭が絵を描けばうまいはずだ。
悲しいことに、私は唄もへただ。音程が狂うし、リズム感がない。リズム感のない者は、俳句も、短歌も、詩も上手く作れない。5,7,5と指を折りながらでは、俳句や短歌のもつ心地よいリズムが生まれない。詩も同様だ。つまり、歌の下手な人は、俳句や、短歌、詩が苦手ということになる。逆もまた真なりで、俳句や短歌をサクッと簡単に作ってしまう人は歌もうまいはずだ。
だから、酔流亭さんもsaheiziさんもたぶん歌がうまいに違いない。「よし、俺だって」と、かつて何度か俳句や短歌に挑戦したことがあるが一句、一首もできなかった。
私の若い頃で、野坂昭如や小沢昭一、永六輔がまだ中年だった頃、この3人は「中年御三家」と呼ばれていた。どんな唄かは忘れたが、小沢昭一には「ハーモニカがほしかったんだよ」と「俺たちおじさんには歌う唄がない」という持ち歌があった。今日、車の中で不意にこんなことを思いだした。
二年に一回くらいのペースでカラオケに行くことがあるが、音痴だから、自ら進んで歌うことはない。順番が回ってくると、断ってばかりもいられないから、意を決してマイクをにぎらなければならない。
しかし、歌詞カードをなんべんひっくり返してみても、私には歌う唄がないのだ。こんな時のために、私にぴったりのオリジナルの唄を用意できればいいのだが、そんな唄は誰も作ってくれない。ならばと、家に帰る車の中で、即興で歌を作った。詞だけではない。曲だってちゃんと作ったのだ。どこかで聴いたことがあるような気もするし、明日また、同じメロディーが出てくるか分からない。残念ながら、ブログでは唄も曲も披露できない。せっかくだから、へたな詞を披露する。習作だから細かいケチはつけないでほしい。一番はわりとすらすらできたのだが、韻を踏むことまで意識したら二番はいくら考えても言葉が出て来ない。だから、二番はごまかした。タイトルは小沢昭一の唄をそのままいただいた。
『
俺たちおじさんには歌う唄がない』
1 俺たちおじさんには 歌う唄がない
はやりの唄は 覚えられないし
昔の唄は 忘れてしまった
しょうがないから 自分で作ってみたけど
華のない人生だから 歌う詞(うた)もない
若い頃に 何を考えていたとか
何をして遊んだとか
どんな娘(こ)を好きになったとか
どんな夢を持っていたとか
唄にならない詞(うた)ばかり
2 俺たちおじさんには歌う唄がない
恋の歌は リアルじゃないし
涙の唄は 棄ててしまった
しょうがないから 自分で作ってみたけど
華のない人生だから 歌う詞(うた)もない
若い頃に 何を考えていたとか
何をして遊んだとか
どんな娘(こ)を好きになったとか
どんな夢を持っていたとか
唄にならない詞(うた)ばかり
方向音痴は、字もへた、絵もへただ。頭の中で考える線の方向性が、正確に具現化できないからだ。(と思う)どんな風に書こうか(描こうか)と、美しくまとめた形は頭の中で出来上がっているが、脳から手に伝達するための信号が、どこかで混線してしまうので、紙の上に描き出されたものは、奇妙奇天烈なものになってしまう。学問的に当てはまるかどうかは分からないが、方向感覚と字や絵のうまい、へたは関連性があるような気がする。鮭が絵を描けばうまいはずだ。
悲しいことに、私は唄もへただ。音程が狂うし、リズム感がない。リズム感のない者は、俳句も、短歌も、詩も上手く作れない。5,7,5と指を折りながらでは、俳句や短歌のもつ心地よいリズムが生まれない。詩も同様だ。つまり、歌の下手な人は、俳句や、短歌、詩が苦手ということになる。逆もまた真なりで、俳句や短歌をサクッと簡単に作ってしまう人は歌もうまいはずだ。
だから、酔流亭さんもsaheiziさんもたぶん歌がうまいに違いない。「よし、俺だって」と、かつて何度か俳句や短歌に挑戦したことがあるが一句、一首もできなかった。
私の若い頃で、野坂昭如や小沢昭一、永六輔がまだ中年だった頃、この3人は「中年御三家」と呼ばれていた。どんな唄かは忘れたが、小沢昭一には「ハーモニカがほしかったんだよ」と「俺たちおじさんには歌う唄がない」という持ち歌があった。今日、車の中で不意にこんなことを思いだした。
二年に一回くらいのペースでカラオケに行くことがあるが、音痴だから、自ら進んで歌うことはない。順番が回ってくると、断ってばかりもいられないから、意を決してマイクをにぎらなければならない。
しかし、歌詞カードをなんべんひっくり返してみても、私には歌う唄がないのだ。こんな時のために、私にぴったりのオリジナルの唄を用意できればいいのだが、そんな唄は誰も作ってくれない。ならばと、家に帰る車の中で、即興で歌を作った。詞だけではない。曲だってちゃんと作ったのだ。どこかで聴いたことがあるような気もするし、明日また、同じメロディーが出てくるか分からない。残念ながら、ブログでは唄も曲も披露できない。せっかくだから、へたな詞を披露する。習作だから細かいケチはつけないでほしい。一番はわりとすらすらできたのだが、韻を踏むことまで意識したら二番はいくら考えても言葉が出て来ない。だから、二番はごまかした。タイトルは小沢昭一の唄をそのままいただいた。
『
俺たちおじさんには歌う唄がない』
1 俺たちおじさんには 歌う唄がない
はやりの唄は 覚えられないし
昔の唄は 忘れてしまった
しょうがないから 自分で作ってみたけど
華のない人生だから 歌う詞(うた)もない
若い頃に 何を考えていたとか
何をして遊んだとか
どんな娘(こ)を好きになったとか
どんな夢を持っていたとか
唄にならない詞(うた)ばかり
2 俺たちおじさんには歌う唄がない
恋の歌は リアルじゃないし
涙の唄は 棄ててしまった
しょうがないから 自分で作ってみたけど
華のない人生だから 歌う詞(うた)もない
若い頃に 何を考えていたとか
何をして遊んだとか
どんな娘(こ)を好きになったとか
どんな夢を持っていたとか
唄にならない詞(うた)ばかり
20年ぶりのクラス会のご案内
『唐突に、しかも、かなり気の早い「クラス会開催のご案内」です。正確に言えば「クラス会開催のご案内」の予告篇と言うことになります。2008年開催のクラス会なら、年が明けてからのご案内が常識でありましょうが、ある事情から早めの「クラス会のご案内」を送付することにしました。
地元に住んでいる人はもちろん、遠隔地に住んでいる人にもこの度の「中越沖地震」は大きな衝撃を与えました。しかし、幸いにも上越市は揺れの大きさに比べて大きな被害もなく、みなさんもさぞやホッと胸をなで下ろしたことでしょう。私自身もせいぜい安物の焼き物の人形がサイドボードの上から落っこちて割れた程度の被害で済みました。
ところが、震災から数週間を経た頃、ミウラ君より連絡があり、我々の恩師であるタカハシ先生の住まいが修復不能の大きな被害を受け、ご子息の住む札幌に引っ越しされるとの情報が寄せられました。引っ越しまで数日しかないことから、先日、連絡のついた仲間だけで、お見舞いとお別れに伺ってきました。私は20年以上も先生にお会いしていなかったのですが、20年以上前のタカハシ先生そのまんまのお姿を見てホッとしました。しかし、もう80近い高齢で、彼の地に旅立つ不安と、慣れ親しんだこの地を去る寂しさを訴える先生に名残惜しさを感じながら、、お別れしてきました。
先生とお別れしてから数日後、ちょうど良い機会でもあったので、連絡を取り合って、久しぶりに、地元に住むクラスの仲間7人が集まり旧交ををあたためました。集まった仲間は、ミウラ、ササガワ、カナヤマ、イトウ、サトウ、オオタ、そして私です。何年かぶりで会った仲間ですが、酒の力を借りながらすぐに放課後の教室の雰囲気で盛り上がりました。サトウ君の話によれば、もうすでに20年間クラス会をしていないそうです。しかも来年は節目の卒業から40年目に当たるそうで、「来年は是非ともクラス会を開かなければならない」と話がまとまりご案内を差し上げることになった次第です。しかも、20年前のクラス会の幹事だったサトウ君が妙なことを言い出しました。「20年前、次の幹事はお前だといったはずだ」と私を指さしたのです。昨日のことも忘れているのに20年前のことを私が覚えているはずもありません。強く否定したものの他の5人も私を指さして「ume、お前が幹事だ」と同調したために引くに引けない立場になりました。
そういうことで「昨日のことも忘れる私」ですから、ちょっと早いのですが、忘れないうちに「クラス会のご案内」をお送りすることに相成った次第であります。いつ、どこではまだ決まっておりません。坊さんのカナヤマ君のたっての願いで「かき入れ時のお盆は避けてくれ」との申し入れがありますので、考慮した上で、ご希望の日時、場所をご連絡下さい。 ume』
忘れないうちに投函しましょう。
地元に住んでいる人はもちろん、遠隔地に住んでいる人にもこの度の「中越沖地震」は大きな衝撃を与えました。しかし、幸いにも上越市は揺れの大きさに比べて大きな被害もなく、みなさんもさぞやホッと胸をなで下ろしたことでしょう。私自身もせいぜい安物の焼き物の人形がサイドボードの上から落っこちて割れた程度の被害で済みました。
ところが、震災から数週間を経た頃、ミウラ君より連絡があり、我々の恩師であるタカハシ先生の住まいが修復不能の大きな被害を受け、ご子息の住む札幌に引っ越しされるとの情報が寄せられました。引っ越しまで数日しかないことから、先日、連絡のついた仲間だけで、お見舞いとお別れに伺ってきました。私は20年以上も先生にお会いしていなかったのですが、20年以上前のタカハシ先生そのまんまのお姿を見てホッとしました。しかし、もう80近い高齢で、彼の地に旅立つ不安と、慣れ親しんだこの地を去る寂しさを訴える先生に名残惜しさを感じながら、、お別れしてきました。
先生とお別れしてから数日後、ちょうど良い機会でもあったので、連絡を取り合って、久しぶりに、地元に住むクラスの仲間7人が集まり旧交ををあたためました。集まった仲間は、ミウラ、ササガワ、カナヤマ、イトウ、サトウ、オオタ、そして私です。何年かぶりで会った仲間ですが、酒の力を借りながらすぐに放課後の教室の雰囲気で盛り上がりました。サトウ君の話によれば、もうすでに20年間クラス会をしていないそうです。しかも来年は節目の卒業から40年目に当たるそうで、「来年は是非ともクラス会を開かなければならない」と話がまとまりご案内を差し上げることになった次第です。しかも、20年前のクラス会の幹事だったサトウ君が妙なことを言い出しました。「20年前、次の幹事はお前だといったはずだ」と私を指さしたのです。昨日のことも忘れているのに20年前のことを私が覚えているはずもありません。強く否定したものの他の5人も私を指さして「ume、お前が幹事だ」と同調したために引くに引けない立場になりました。
そういうことで「昨日のことも忘れる私」ですから、ちょっと早いのですが、忘れないうちに「クラス会のご案内」をお送りすることに相成った次第であります。いつ、どこではまだ決まっておりません。坊さんのカナヤマ君のたっての願いで「かき入れ時のお盆は避けてくれ」との申し入れがありますので、考慮した上で、ご希望の日時、場所をご連絡下さい。 ume』
忘れないうちに投函しましょう。



