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『俺たちおじさんには歌う唄がない』

自慢じゃないが、絵もへた、字もへただ。そして、極めつけの方向音痴でもある。
方向音痴は、字もへた、絵もへただ。頭の中で考える線の方向性が、正確に具現化できないからだ。(と思う)どんな風に書こうか(描こうか)と、美しくまとめた形は頭の中で出来上がっているが、脳から手に伝達するための信号が、どこかで混線してしまうので、紙の上に描き出されたものは、奇妙奇天烈なものになってしまう。学問的に当てはまるかどうかは分からないが、方向感覚と字や絵のうまい、へたは関連性があるような気がする。鮭が絵を描けばうまいはずだ。

悲しいことに、私は唄もへただ。音程が狂うし、リズム感がない。リズム感のない者は、俳句も、短歌も、詩も上手く作れない。5,7,5と指を折りながらでは、俳句や短歌のもつ心地よいリズムが生まれない。詩も同様だ。つまり、歌の下手な人は、俳句や、短歌、詩が苦手ということになる。逆もまた真なりで、俳句や短歌をサクッと簡単に作ってしまう人は歌もうまいはずだ。
だから、酔流亭さんもsaheiziさんもたぶん歌がうまいに違いない。「よし、俺だって」と、かつて何度か俳句や短歌に挑戦したことがあるが一句、一首もできなかった。

私の若い頃で、野坂昭如や小沢昭一、永六輔がまだ中年だった頃、この3人は「中年御三家」と呼ばれていた。どんな唄かは忘れたが、小沢昭一には「ハーモニカがほしかったんだよ」と「俺たちおじさんには歌う唄がない」という持ち歌があった。今日、車の中で不意にこんなことを思いだした。
二年に一回くらいのペースでカラオケに行くことがあるが、音痴だから、自ら進んで歌うことはない。順番が回ってくると、断ってばかりもいられないから、意を決してマイクをにぎらなければならない。
しかし、歌詞カードをなんべんひっくり返してみても、私には歌う唄がないのだ。こんな時のために、私にぴったりのオリジナルの唄を用意できればいいのだが、そんな唄は誰も作ってくれない。ならばと、家に帰る車の中で、即興で歌を作った。詞だけではない。曲だってちゃんと作ったのだ。どこかで聴いたことがあるような気もするし、明日また、同じメロディーが出てくるか分からない。残念ながら、ブログでは唄も曲も披露できない。せっかくだから、へたな詞を披露する。習作だから細かいケチはつけないでほしい。一番はわりとすらすらできたのだが、韻を踏むことまで意識したら二番はいくら考えても言葉が出て来ない。だから、二番はごまかした。タイトルは小沢昭一の唄をそのままいただいた。


     『
      俺たちおじさんには歌う唄がない』


1 俺たちおじさんには 歌う唄がない

はやりの唄は 覚えられないし

昔の唄は 忘れてしまった

しょうがないから 自分で作ってみたけど

華のない人生だから 歌う詞(うた)もない

若い頃に 何を考えていたとか
    
     何をして遊んだとか

どんな娘(こ)を好きになったとか

どんな夢を持っていたとか

唄にならない詞(うた)ばかり


2 俺たちおじさんには歌う唄がない

恋の歌は リアルじゃないし

涙の唄は 棄ててしまった

しょうがないから 自分で作ってみたけど

華のない人生だから 歌う詞(うた)もない


若い頃に 何を考えていたとか
 

     何をして遊んだとか
     

     どんな娘(こ)を好きになったとか

     どんな夢を持っていたとか
     
     唄にならない詞(うた)ばかり


     




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20年ぶりのクラス会のご案内

『唐突に、しかも、かなり気の早い「クラス会開催のご案内」です。正確に言えば「クラス会開催のご案内」の予告篇と言うことになります。2008年開催のクラス会なら、年が明けてからのご案内が常識でありましょうが、ある事情から早めの「クラス会のご案内」を送付することにしました。

地元に住んでいる人はもちろん、遠隔地に住んでいる人にもこの度の「中越沖地震」は大きな衝撃を与えました。しかし、幸いにも上越市は揺れの大きさに比べて大きな被害もなく、みなさんもさぞやホッと胸をなで下ろしたことでしょう。私自身もせいぜい安物の焼き物の人形がサイドボードの上から落っこちて割れた程度の被害で済みました。

ところが、震災から数週間を経た頃、ミウラ君より連絡があり、我々の恩師であるタカハシ先生の住まいが修復不能の大きな被害を受け、ご子息の住む札幌に引っ越しされるとの情報が寄せられました。引っ越しまで数日しかないことから、先日、連絡のついた仲間だけで、お見舞いとお別れに伺ってきました。私は20年以上も先生にお会いしていなかったのですが、20年以上前のタカハシ先生そのまんまのお姿を見てホッとしました。しかし、もう80近い高齢で、彼の地に旅立つ不安と、慣れ親しんだこの地を去る寂しさを訴える先生に名残惜しさを感じながら、、お別れしてきました。

先生とお別れしてから数日後、ちょうど良い機会でもあったので、連絡を取り合って、久しぶりに、地元に住むクラスの仲間7人が集まり旧交ををあたためました。集まった仲間は、ミウラ、ササガワ、カナヤマ、イトウ、サトウ、オオタ、そして私です。何年かぶりで会った仲間ですが、酒の力を借りながらすぐに放課後の教室の雰囲気で盛り上がりました。サトウ君の話によれば、もうすでに20年間クラス会をしていないそうです。しかも来年は節目の卒業から40年目に当たるそうで、「来年は是非ともクラス会を開かなければならない」と話がまとまりご案内を差し上げることになった次第です。しかも、20年前のクラス会の幹事だったサトウ君が妙なことを言い出しました。「20年前、次の幹事はお前だといったはずだ」と私を指さしたのです。昨日のことも忘れているのに20年前のことを私が覚えているはずもありません。強く否定したものの他の5人も私を指さして「ume、お前が幹事だ」と同調したために引くに引けない立場になりました。

そういうことで「昨日のことも忘れる私」ですから、ちょっと早いのですが、忘れないうちに「クラス会のご案内」をお送りすることに相成った次第であります。いつ、どこではまだ決まっておりません。坊さんのカナヤマ君のたっての願いで「かき入れ時のお盆は避けてくれ」との申し入れがありますので、考慮した上で、ご希望の日時、場所をご連絡下さい。              ume』

忘れないうちに投函しましょう。

埋もれていた才能

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●この能面はもちろん私が彫ったものではない。近所の農家のじいちゃんが彫ったものである。「暇に任せて彫ってみた。ほしいなら持ってけ」と言うから「はいよ」と言って貰ったものだ。私にはこの種の才能がない。人間の才能というものはいろいろ細分化されており、「俺には何の才能もない」という人も探し出せば常人にはないとんでもない才能を持っていることもある。しかし、その才能をなかなか見つけだすことができないこともある。このじいちゃんもたまたま子供が使わないままに放り投げておいた彫刻刀を手すさびに、間伐材の木に、目的もなく彫ってみたら、お面が出来上がってしまい、よく見たら、結構な出来映えで、「俺にこんな才能があったとは?!」と驚き、それならばと、写真を見ながらその気になって本格的に彫ってみたのがこの能面である。70を過ぎてから発見した才能だったから、いくつも作品を完成させないまま亡くなってしまったのは残念である。

ひょっとしたら私にも発見できないままに埋もれている特異な才能があるかもしれない。

ウメが子犬を産んだ!!

20070911201617.jpg


スイマセン、タイトルはうそです。
一番右側の顔のでかいのがウメ。 哲学的思索に耽っているような顔をしているが、実は今晩の夕飯のことを考えているだけです。
左側の子犬たちはウメとはなんの関わりもありません。拡大してみると、ハイ、子犬の写真はポスターです。ウメがツメで引っ掻いた所をポスターで補修しました。

20071005181841.jpg

ちぐはぐな日常

●行いが悪いせいか、たまたまの巡り合わせか、雨の日には屋外作業、晴れの日には屋内作業という日が続いている。どちらの作業をするか、工程上の関係で、自由な選択ができない。今日は雨、作業は屋外。この季節は、合羽を着ても着なくても体が濡れるのは同じだ。汗で濡れるか、雨で濡れるかの違いだけ。で、今日は雨で濡れるを選択。ドロドロ状態で帰宅。ウメ散歩をねだるも「今日は勘弁してよ」とお断り。拗ねたのか、「お座り」「待て」「来い」すべて拒否。えさの時間の「ちょうだい」だけは完璧動作。計算高いヤツめ。


●今まで画像をアップしていなかったのは、なんと言うことはない、デジカメ画像の容量が大きすぎて、圧縮することができなかった、と言う私自身の能力に関わるところの理由からだった。ところが、先日、配偶者の所用におつきあいして、十日町市へ行った帰り道、松之山温泉の近くにあるブナの原生林「美人林」に立ち寄った際、デジカメの操作ボタンをくるくる回しながら歩いていた時に、「わおーなんだこんなモードがあったのか」と、つい声を出してしまったのは、カメラのモニターに[web用撮影モード]を発見したからだ。ブログに画像をアップするならば「普通サイズで撮ったものを圧縮するよりも、最初からweb用モードで撮れば良い」と言うことは、私を除けば世の中では、「あたりマエダの クラッカー」だったのかもしれないが、オリンパスFE-220のマニュアルにはこんなこと一つも書いてない。
この間は修理に時間がかかりすぎるとけちをつけたが、今日はこの「トンデモ不親切マニュアル」にカツを入れておく。近頃、このように中途半端で不親切なマニュアルが多いような気がする。もう少し初心者にも分かるような書き方をしてほしいのだが。「おまえの能力には合わせられない」というなら、まあ仕方ない・・・・あきらめましよう。

なんにせよ、しかしこれで「おれも、バッチリ、カメラマン」になれると思い、シャッターボタンをバシャッと押した。しかし、今度は撮影がうまくいかない。どんなに調整しても、露出過多の映像しか映らない。故障なのか、設定上の問題なのかわからない。まだしばらくはカメラとの戦いがつづくようだ。


●今まで書いた自分の記事を読み返して、特定の言い回しが多いのに気がついた。少し列記してみる。

・実は(実を言うと)

・~という

・仕方ない

・正直に言えば

・よく分からない

・ちなみに

一つの記事の中で同じ言い回しはしないように気をつけているが、記事をまたがると、ついこのルールも破られてしまう。語彙の不足も原因の一つだが、思考回路がワンパターンだから、似たような言い回しが多いのかとも思う。脳みそが柔軟性を失っているようである。さらに(これもよく使う!)気のつくことを列記してみる。

・句読点と付け方に統一性がない。

・同じ言葉でありながら、漢字表現と仮名表現の選択がいい加減。

・長いぶんしょうになると、SVOCがめちゃくちゃ。

・大して重要でもないことに字数を無駄遣いしながら、重要なはずの文章がエラクあっさり通り過ぎる。

・誤字、脱字が多い

鍛錬して、少しずつスキルアップを図りましょう。

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