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NEC オリンパスに物申す!

パソコンの具合が悪い。突然電源が落ちるのだ。致命的な不具合だ。この1週間不安定な状態が続いた。ブログの更新が遅れたのも、こいつのせいである。いつ何時悪魔が襲ってくるかわからない。電源が落ちればウンウン唸って書いた記事も一瞬にしてパーになる。こうしてキーを打っている間も、その恐怖におののいている。故障の原因がわからず、いろいろ試してみたが、私の能力では対応できない。そこで、NECのサポートセンターへ、ということになったが予約制で、もうすでに4日ほど後まで予約がいっぱいだ。修理に出せばいいのだろうが、いったい修理完了まで何日かかることやら、見当もつかない。つい先日も、オリンパスのデジカメを修理に出したら直ってくるまで2週間かかった。ブログの更新はともかくとして、私のような零細自営業であっても、今や、パソコンは携帯電話と並んで、必要不可欠のものとなった。私の仕事に関して、詳しいことはいづれ記事にするつもりであるが、簡単に言えば空調工事業ということになる。私の仕事も修理業務がともなう。しかし、PCやカメラのように、「2週間お待ちを」などとのんびりした対応はできない。冷房なぞまだ不要なはずの5月でも、取引先からの「○○さんのところへすぐ行って」と携帯に連絡が入り、現場が追われていて手を離せない旨説明しても、「いやならいい!ほかへ頼むから!」と恫喝される。
しぶしぶ修理現場へ急行してみれば、「ごめんなさい。電源入れ忘れていた」と一言。そうならそうと電話ぐらいくれよ。出張料請求すれば、「修理してもらったわけじゃないから払えない」といいやがる。けったくそ悪いから、粘って出張料もらって帰ると、予想したとおり取引先から電話。「お客が怒ってかんかんだ。すぐ金を返してこい!」と一方的にまくし立てる。事情説明しても聞く耳持たずで、こちらが悪者扱い。近頃、何を勘違いしているのか、このようなプチ権力者が私の周りにはうようよいる。「こちとらボランティアじゃないのだ。商売だ。金を返してほしければ、テメーが取りに来い!」と声を出さずに心の中だけで叫ぶ。意気地のない対応で応酬するだけで、実りなき不毛の数時間はやりきれない気分だけを残して去っていく。

われわれのように現場関係が主体の業者にとって、雪国(新潟県)のハンディは非常に大きく、12月の半ばから3月半ばまで積雪があれば、仕事ができない。開店休業が4ヶ月間続く。いきおい残された、8ヶ月間は超多忙な繁忙期が続く。4ヶ月間の減収を取り戻さなければならないのだ。人員の確保も、繁忙期に合わせれば、冬季間無駄な給料を払わなければならず、冬季間に合わせれば、繁忙期には人手が足りなくなる。創業当時考えていた「いっぱい儲けていっぱい払う」は実現しそうにない。

ここで、話はNECとオリンパスへ戻る。われわれのような零細業者が、四苦八苦しながら、経営を維持し、迅速な対応で、客の要望に応えているにもかかわらず、大企業、大資本のユーザーに対する対応は、サポート要員を増員すればスピーディーに進めることができるはずなのになおざりにしたまま。わづか数人の零細業者が、雪国と言うハンディを背負いながら、業務が円滑に進むように人員の確保をしているのだから、大企業がサポート、修理体制を、人員の確保で、円滑かつスピーディーに進めることは容易なはずだ。ケチケチしないで、人件費を増やせばいいのだ。どこの国の話だか知らないが、都では大企業は軒並み好決算だということだ。儲けさせてやったのだから(俺がというわけではないけれど)、生きた金の使い方をしろ。生きた金の使い方がわからなければ、私がいくらでも教えてやる。

今日は不思議とパソコンの調子がいい。久しぶりの更新もあと少し。田植えが終わったら、ウスラ寒い日が続いている。夏は猛暑になってエアコンがよく売れないかなと念じている今日この頃であります。

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明日世界はどうなっているか、わからない。でも私は今日林檎の木を植える。

タイトルの言葉は拙ブログにいただいた佐平次さんのコメントから引用しました。

杉は国内のいたるところに植林されています。(北海道を除く)樹木で、日本の貴重な森林資源です。花粉のいたずらから、多分、最も嫌われている木のNO1にランクされる木でもあります。「真っ直ぐ」という言葉が杉の語源だということからも分かるように、杉の木は天に向かって真っ直ぐ伸びています。建築材料に使うのだから真っ直ぐでなければならないのです。盆栽でも杉は、松や真拍のように針金を使ってくにゃくにゃと幹を曲げる、というようなこしゃくな仕立て方はしません。あくまでも真っ直ぐ、直幹仕立てが基本です。実は、この「真っ直ぐ」は人の手がかかっている、というのが今日の話です。

私が小学校高学年の頃だから、今から45年位前の話です。杉は植林されてからしばらくの期間、冬期間の雪の重みで倒伏するために、春になると「杉起こし」という作業をします。毎年春になるとこの杉起こし作業に私は祖父(菜っ葉さえあればいいと言っていたあの祖父)に日曜日のたびにかりだされました。
しかし、これが、いやでいやでしょうがなかったのです。遊びたい盛りの年頃で、じいちゃんと2人で山に篭るというのはあまり魅力的な話ではありません。「一人仕事では大変だから、umeも手伝ってほしい」といわれると、不承不承いかにもいやいやと言った風情で「うん、わかったよー」と答えます。今なら車で簡単にに行くことができますが、当時、70過ぎの老人と小学生にはきつい急登の山道を腰に弁当をぶら下げて二人で歩きます。
その時もうすでに腰の曲がっていたじいちゃんは、歩くことが苦手で歩みが遅く、アベベ気取りでぐんぐん歩く私との距離は離れる一方です。あっという間にぶっち切りの独走態勢になります。現地へ早く着いて「寝転がってじいちゃんの到着を待つ」と言うのが私の作戦です。ところが、無茶なハイペースで歩いた私もいつの間にかスタミナ切れを起こし、ペースダウンします。そのうちあれほど開いていたじいちゃんとの距離はあっという間に詰まり、ついには追い抜かれます。じいちゃんの背中を見ながら私は「なんだこのじいちゃん、腰が曲がってヨタヨタしているのにどうしてオレより速いんだ!」と思いつつ、あとは、もうじいちゃんについていくのがやっとと言う状態です。現地へ着くと休む間もなくすぐに作業の開始です。あっちを引っ張れだのこっちを引っ張れだのの声に従って、もっぱら引っ張り役が私の役割で、じいちゃんは縄を器用に男結びに結わえます。「早く終わらねーかな」といつまでも往生際の悪い私は、だらだら、いやいやという態度で作業を手伝います。じいちゃんも私のその態度は十分に分かっていたはずですが、そのことはなにも指摘せず、休憩のたびに「悪いなume、せっかくの日曜日なのに」と言います。それでも、「そう思ったらこんな仕事俺に頼むなよ」と心の中で毒づくume少年にはかわいげがありません。
3,4日続いた作業も今日で終了という日に、じいちゃんはは私に「なあume、この木がでっかくなったら、お前が家を建てる時に使ってくれ。梁に使えるぞ。もうそん時には俺は死んでいるけどな」と、作業終了の満足感にひたった顔で言います。この杉の木はじいちゃんには何の役にも立ちません。家を建てると言っても、当時の私に実感が湧くはずもなく、「うん」とは答えたものの、気のない返事でした。じいちゃんにとってみれば孫かわいさの作業であったにもかかわらず、当の孫(つまり私)に不愉快な態度をされていたのですから、浮かばれません。今となれば「じいちゃん、悪かったなー」とも言えますが今さらだ、もう遅い。

その杉の木は今、立派に生長しました。家を建てるには十分なほどに大きくなりました。ところが、先年私が家を建てるときこの杉の木は使いませんでした。木を切り出して製材する費用のほうが、外材を購入するより高くつくと言う理由からでした。ますますじいちゃんは浮かばれません。少しくらい高上がりであってもあの杉の木を切り出すべきだったと、今は後悔しています。大きくなったあの杉の木は杉起こしや間伐の必要もなくなり、日々わずかづつひっそりと成長ています。いずれ、屋久島の杉のような大木になるのでしょうか。朽ちるまで材木としての役割はまっとうせず、光合成でCO2を吸収しながらわれわれに酸素を供給し続けるだけなのでしょうか?
じいちゃんになんといえばいいのでしょうか。「じいちゃん、あの杉の木、それなりに役に立っているよ」とでも言っておきましょうか。


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