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「野菜の横綱」ギブアップ宣言

私は日本で3本の指にはいるくらい「ナス」が好きだ。地味な野菜で、味も食感もこれと言った特徴がなく、水分がほとんどで、栄養もない野菜だから、「ナス好き」と言っても「こよなくナスを愛する者達による平和連合」(ナ平連)といった大きな勢力はできそうにもない。
実は、ずっと棚晒しになって埃を被っている「野菜の横綱」には、強力に「ナス」を推挙する予定だった。しかし、「横綱」は「強靱な体力と個性的な技を持っていなければならない」という社会通念からすると、ナスはいかにも線が細いのだ。「俺が好きだから」という理由では、あまりに説得力のない横綱推挙の弁だ。色が艶やかで独創的、ヘタを持っている、形がユニーク、煮ても、焼いても、生でも食える、特徴をいくつか探し出してみたものの、よく考えてみれば、そんな野菜ははいくらでもある。そんなこんなで、ひいきの野菜を強引に横綱に推挙できないことを悟った私は、横綱審議委員長としての使命感がだんだんと萎えてきた。知らんぷりを決め込んで、そーっと「野菜のランキング」欄を外してしまおうかとも考えたのだけれど、ここは潔く「も う し わ け あ り ま せ ん」とコウベを10秒ほど垂れた上でのギブアップ宣言をすることにする。「野菜の横綱」は終章を迎えることなくすごすごと退散だ。
さて、しかしだ、ナスの話はまだ続く。今年の我が家の自家栽培のナスは近年にない不出来だった。毎年春先に、私はナス栽培責任者(母)に「他の野菜はどうでも良いから、ナスだけはくれぐれも粗相のないように扱い、身の締まった艶やかなナスを生産してほしい」旨を申しつける。さらに、長雨がたたったとか、日照時間が少なかったとか、日照りで水不足だったとかは言い訳だから、どんな気候になってもナスにとって最適な環境を作るよう付け加える。
ところが、2007年度のナスはひどく不作で品質も悪く、私をガッカリさせた。しかも、あれほど強く言ったにもかかわらず、母は「猛暑による水不足」を不作の理由に挙げ、言い逃れしようとした。「水分不足なら、毎日水遣りをすればいい」と、至極もっともな指摘をしたのだけれど、「それならお前がやればいい」とこれまた至極もっともな反論の言葉だ返ってきた。
「盆栽の水遣りは毎日やっているのだから」とさらに追い打ちを掛ける。
盆栽は家の裏にあるから、水遣りはさほど手間もかからないし、何より本日のご機嫌がどうであるかのお伺いを立てる必要があるので、手抜きをするわけにはいかないが、ナス畑は車で5分ほどの裏山まで登らなければならないから、エネルギーの消費が随分違う。母はさらにたたみかける。「だいたいお前は今年ソバを蒔いて秋になったら旨い蕎麦を食べさせてあげると言ったけど、あの話は一体どうなった?」
一挙に私の方が形勢不利になってきた。、討論会を打ち切るより仕方ない。討論会の流れからすると、来年からは私がナス栽培責任者にならなければいけないようだ。            つづく

次回は『お薦めナス料理』
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「野菜の横綱」 食材今昔物語 魚篇転じて海の幸篇 中途半端に終結

『「野菜の横綱」(食材今昔物語)』はヘンなサブタイトルを付けたおかげで野菜までたどり着けないでいる。前回は魚を取り上げる予定だったが脇道へそれてしまった。今日はもう少しだけ魚の話をしてから、まっしぐらに野菜に突き進む予定である。

走り幅跳びの世界記録保持者なら、我が家のトイレの前から助走を付けて玄関ドアーの枠のところで踏み切れば、間違いなく日本海に着地する。(玄関ドアーは開けておかなければならない。)海が我が家の目の前にあると言うことは前回の記事にも書いたが、その割に海からの恩恵がない。むしろ、弊害が多い。弊害の最たるものは「塩害」だ。エアコンの室外機が僅か2,3年でいかれてしまう。一度いかれると、何回修理しても、すぐにまた壊れる。しょうがないから、新品と交換しなければならないのだが「なじみのエアコン業者」の動きが鈍い。発注してから工事に取り掛かるまで数年かかる。何を隠そう「なじみのエアコン業者」とは、「ume冷暖房工事店」のことである。家人ががいくら催促しても、ume店長は工事に取り掛からない。理由は簡単で、「金にならない」と「面倒くさい」。実に整合性のある理由だ。よってume家のエアコンはここ数年動いていない。塩害の被害はエアコンだけではない。車、外壁、ボイラーと、ステンレス製以外の金属製品はすべて耐用年数が短い。さらに、私の大事なミニ盆栽も被害を受ける。塩害で立ち枯れするのだ。何年もの間「蝶よ、花よ」と育ててきた盆栽が、強い潮風に当たるとみるみる元気を失い、ついには枯れてしまう。波の高い日は家までしぶきが飛んでくるのだからしょうがない。
もう一つ歓迎しないものに風がある。夏は、海からそよそよと吹く風は心地良いものがあるのだが、問題は冬だ。日本海側特有の北西の季節風はたいへんなもので、家の中にいれば震度3に匹敵するほど揺れを感じる。私が地震の揺れに鈍感なのはこのせいである。さらに、・・・  長い脇道になりそうなので、脇道は封鎖。


当たり前の話であるが、海の幸は、山の幸に比べると、捕獲するのが大変で、技術、装備、根性の3要素を備えていないと、獲物をゲットすることができない。獲物が自ら進んで我が家へやってくることはない。我が家があまり海の恩恵を受けていないのは、私が「捕獲3要素」を持ち合わせていないせいだ。昨日の記事に書いたように、たまたまクロバイを大量にゲットした過去の栄光もあるが、それ以外に自慢できるような収穫はない。数少ない過去の収穫を書いてみると、スズキ(夜釣り)3尾、アイナメ約30尾、タコ3バイ、サザエ3個,....50年以上も家の前には日本海が横たわっているにもかかわらず、私の戦利品はたったこれだけである。海の男としては、穴があったら入りたいほど恥ずかしい明細だ。すべてを思い出せるのだから、私の記憶力もたいしたものである。しかし、ありがたいことに、当集落には「獲れすぎたらお裾分け」という美しい伝統があって、「捕獲3要素」を完璧なまでに兼ね備えた家々が何軒もあって、私の生涯収穫量の何十倍ものお裾分けのご相伴にあずかっている。まあしかしそれでも、海の幸は購入品に頼るケースが多い。

海の幸と一口に言っても、貝、魚、タコ、イカ、エビ、海草と色も形も様々で、イカやサザエのように何を考えて日々暮らしているのか見当もつかないやつもいるし、クラゲのように図体が大きく、邪魔なだけで目障りなヤツや毒を持っているものもいる。
政界で例えるなら民主党か。
輸送機関の発達により、海の幸は素早く産地から消費地に輸送される。産地以外でも新鮮な魚介類がてにはいる。よって、海のそばに住んでいるからと言って、特別の優位性がない。冷蔵庫がまだ普及していない時代、行商人から買った魚は朝のうちにume家では刺身にした。干物や塩引は夕飯ようのおかずだった。
イカ刺しで朝からいっぱいとというわけにもいかず、かといって干鱈でいっぱいというのも酒欲(というのかな)もわかない。
代々ume家の当主が下戸なのは、この辺りに原因があるのかもしれない。

いかにも中途半端であるが、食材今昔物語はこれでおしまい。魚はネタが少ないのです。

次回はいよいよ本篇「野菜の横綱」を投稿します。はたして、盆休暇中にアップできるか。

つづく




テーマ : 雑記 - ジャンル : 日記

野菜の横綱 その1(食材今昔物語 肉篇)

「お気に入り」に登録してあるブログにはけっこうマメにコメントを書き込んでいるのに、我が「盆の風だより」はずーっと店主不在の開店休業が続いている。そろそろ陳列商品にはたきをかけて、モラトリアムの世界から脱出しなければならない。日向ぼっこしているクラゲのようにいつの間にか影も形もなくなる危険がある。




やっぱり野菜のことを書こう。

「ちょっとした事情」が生じたために「野菜の横綱」はタイトルをそのままに「食材の今昔物語]と,NHK特集のようなサブタイトルを付け加えます。「ちょっとした事情」については後ほど明かします。

「野菜の横綱」はなんであるかをテーマに記事を書くと予告編まで流しておきながら、ずーっとほったらかしていた。まずこれからかたずけよう。




食卓で野菜が主役になることはめったにない。たいていは肉や魚が主役だ。野菜は脇役の役回りが多いし、時にはエキストラ扱いを受けることもあります。
きちっと面をとったニンジンやジャガイモの温野菜が肉の傍ら、皿の片隅で行儀良く正座してしている様は、一見横綱の土俵入りを見守っている露払いのようにも見えます。いや、むしろ太刀持ちか?刺身の彩りや薬味として添えられるパセリや大根はどうでしょうか。パセリの役所はは女の子の髪を飾るりぼんのようなものですが、日本料理の代表格の刺身に西洋野菜の組み合わせがちょっと不思議です。誰が考えたのでしょうか。大根は主役の刺身の足がしびれるのを防ぐための座布団代わりということになるのか。いや、なりません。曲がりなりにも温野菜は「カリブ風仔牛のステーキ温野菜添え」と言う具合に、一応メニューにその存在が記されます。しかし、刺身のツマの野菜群は「ヒラメとカレイの舞い踊り風盛り合わせ、大根敷、パセリ添え」などと言うようにその存在を記されることもありません。ドラマで言えばエキストラ扱いであります。総じて食材界において野菜は軽んじられているといわねばなりません。野菜のことを「なければなくても良い」と世間では評価している人もいますし、野菜嫌いの子供達は「ない方がよい」と言い切るの子もいます。まるで、キーボードのキューと同じ扱いです。(実際、私のキーボードはキューのキーが欠落したままですが、全然不自由していません。)明らかに野菜は、肉や魚に比べ不当な扱いを受け、ないがしろにされている場合が多いのです。

野菜にはいろいろな種類があります。個性派揃いです。しかも、続々とニューフェイスが登場します。昨今の映画界には、個性的な名脇役が少なくなったという事実と比べてみてください。野菜が全員集合すればすごいキャストになります。映画界に貸してあげても良いほどですが、アルバイト扱いでは困ります。正社員でなければだめですよ。



肉は長い間、魚や野菜をさしおいてずーっと食材界の中心に居座り続け、我が物顔で食材界を席巻していました。肉汁という強い武器を持っているがために、のほほんと過ごしながらもその地位を脅かされることはありませんでした。安易なたとえですが、政界における自民党みたいなものです。食生活が今ほど豊かでなかった子供の頃、肉はまさに垂涎の的で、アメリカ映画の食事のシーンで、ナイフやフォークを巧みに操りながら「ビフテキ」を食べる様は、カレーに肉の代わりのサバ缶を使用していた時代を過ごしてきた私にとって、どんなにか肉に対する憧れに拍車をかけたことでしょうか。『「ビフテキ」をを食うために俺は金持ちになる』と強い決意を抱いたのは8歳と3ヶ月の頃でした。「ビフテキ」を食いたかったら、なぜ「俺は肉屋になる」と考えなかったのでしょう、今からすると不可解です。農家であったから、野菜には不自由しなかったし、魚も、家の前がすぐ海だったと言う環境だから、新鮮な魚はたやすくに手に入いりました。しかし、肉だけは直江津まで汽車に乗って買いに行かなければならなかった。肉との触れ合いは1年に、わずか数回しかなかったのです。
あっ、今思い出したけど、肉と言えば鶏はよく食べた。卵を採るために、当時の農家はたいていニワトリを飼っていて、卵の生産性が悪くなると、今は亡きスイばあちゃんが得意技「首捻り」で絞めていたのを思い出す。鶏たちもばあちゃんの殺気を感じると「今度はおまえの番だぞ」「いや、あいつだ」とささやきあっていたものです。この絞められた鶏たちは「鶏鍋」にされる。卵が尻の方から順番に、極大、大、やや大、中くらい、やや中くらい(こんな言葉はない?)小、やや小、極小と言った具合に、整然と並んでいた。ゆで上がった姿しか見たことはないけれども、あの卵は、ほとんど黄身で、殻のない状態だったはずだから、一体どんな風に体の中に格納されていたのかよく分からない。残ったガラは中華そば(乾麺)や手打ちそばの出し汁に使われた。ばあちゃんはどういう手法でそばを打ったのか覚えていないが、つなぎにいれる山芋の分量のを間違えたのだろう、松の葉っぱくらいの長さにブツブツと短く切れたそばが特徴で、エラク食いにくかった。しかし、ブツブツそばは鶏ガラスープの出し汁と絶妙のハーモニーを奏でていた。八王子には「冷やしトマトそば」があるそうだが、直江津にこんなそばがあっても良いだろう。こんなそばは、さすがの酔流亭さんや、花まきさん、小マメ太郎さん、がじゅたんさん、saheiziさん、夢八さんも食ったことはないだろう。
そういえば、乳の出が悪くなった山羊肉も食べたし、冬、仕掛けた罠にかかった野ウサギも食べた。近所の豚小屋が火事になり、焼け出された豚の丸焼けも食べた。こうしてみると、「ビフテキ」以外の肉はそれなりに食べていたようです。野菜の話をするはずなのに、肉の話が長くなりました。魚はとばして、と思ったが、そんなわけにもいかない。ひとしきり魚の話をしてからメインテーマである野菜の話に移ります。
残念ながら金持ちになるのに失敗した私ですが、オージービーフやアメリカ産の安い牛肉が手に入るようになった今、「ビフテキ」も特別な食い物ではなくなりました。


つづく



テーマ : 徒然日記 - ジャンル : 日記

最後の食事

私の祖父も、祖母も86歳、父は73歳で亡くなった。祖父も祖母も非常に粗食で、食い物に関してはわがままを言わなかった。特に、祖父は何を食べても「うまい、うまい」を連発するような人だった。「菜っ葉さえあればなにもいらない」が口癖だった。一方、父は食い物に対して、非常にうるさい人だった。ところがぎっちょん、皮肉にも「菜っ葉」が「うるさい」よりはるかに長命だった。

で、私のことです。私も祖父に倣って、「食卓に上がったものには一切の論評を加えない」を基本姿勢としている。できれば、元気で長生きしたい。父の生前には、私の予想余命は「86-年齢+α」の公式を使っていたが、今は、信頼性の高い公式が見つからず、煩悶しているところだ。あまりつかいたくはないのだが、我が家の寿命の推移をみると,どうやら,「73-年齢ーα」が最適な公式となるのだろうか?

そろそろ遺言を作ってもよい年齢になったがまだ認めていない。気になるのは「盆栽」のことだけだから、多分シンプルな遺言になるであろう。遺言はともかくとして、最後の食事だけはすでに家人にリクエストしてある。これもシンプルで、①シジミの味噌汁②若干塩控えめのナスの塩漬け③熱々のご飯。この三点セットを生涯の最後の食事としたい。

①はめんどうでも宍道湖産の身がぷりぷりしたもの②はしょうゆをタラッとたらしたいので薄塩で。しょうゆのうまさが引き立つのだねナ
スの塩漬けは。③はまだよく蒸れていないくらいの炊きたてもの。もちろん、保有米のコシ。

さて、みなさんはどうですか?

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筍の処分、そして岡ワサビ

好きな山菜も三日間続くと(しかも三食)、少々味覚神経が拒否反応を示し始める。多少目先を変えてもだめである。この三日間で食した山菜は、うど、ふき、筍(孟宗)、たらの芽、げんぶき、ノビル、わらび。比較的飽きないのはわらびとふきで、箸休めとしての役割をじっと守っているからだろう。問題は筍である。どんなにたくましさと美味しさを兼ね備えた筍であっても、筍料理が3品、4品並ぶと、存在感があって色気のない山菜だけに、どんよりとした気分に陥る。細木数子を三日間見続けるのと同じ気分といえば分かるであろうか。

もう一つ大きな問題がある。初採りは20本で済んだが、収穫の本番はこれからである。雨が降るたびに(降らなくても)、筍はぐんぐん成長する。伸びすぎないうちに採らないと、あっという間に竹になる。数えたこともないけれど、数百本(500本は下らない)の筍を収穫しなければならない。そして、その処分、感動の初採りから、あっという間に処分という言葉を選択しなければならないほど、筍は価値観を下げる。ひたすら、おすそ分け、おすそ分けとあいなる。うどやたらの芽は食いたくなければ、採らなければいい、ほっとけばいい。筍はそんなわけにはいかない。竹になる前に、採らないと増え続ける。混み過ぎは、良質の筍を再生産しない。1軒に10本のおすそ分けとして、500÷10=50。50軒におすそ分け。大変な作業である。この問題を解決すべく、今、私は竹炭作りを検討している。

岡ワサビ(当地ではトウワサビともいう)をご存知だろうか。今日はこの岡ワサビの移植をした。もともとは、亡父が栽培していたのだが、父の死後、管理不行き届きで、絶滅の危機に瀕していた。ここ数年間は食することもなく、その存在さえ忘れかけていた。ところが今日突然に、あいつら一体どうなったのであろうかと思い、かつてのワサビ畑に、視察に出かけた。あったのである。雑草の中に細々と命をつないでいたのである。掘り起こしてみると、ちゃんと根っこにワサビの形をとどめた塊があったのである。当地でも栽培しているのは我が家だけだったので、種(?)の入手経路もよく分からない代物なので、「よくぞ、生きていてくれた」と彼らに労いのの言葉をかけた。ワサビといっても名前の示すとおり、岡で育てられる。本ワサビのように湧き水は必要ない。育て方は難しくはない(多分)。どういう食し方があるかというと、ワサビというくらいだからまず刺身の薬味、お茶漬けの薬味。おひたしの薬味、漬物の薬味(特に白菜、野沢菜)、辛味はさほど強くないが香りがいい。すりおろしたものをたらーっと醤油をかけて、熱々のご飯に載せて食べると食が進む。超マイナーな野菜ではあるけれど、なぜ普及しないのか不思議だ。収穫は秋。一冬中こいつは私の食欲を助けてくれる。岡ワサビ知っている人おりますか?

本日もエンゲル係数低し。
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