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亀からの脱出

50がらみの男が幹線から外れた田んぼの中の一本道を仕事に向かうために軽トラックで通りがかった。昨夜来の雪で道路はつるつるに踏み固められ、風が強かったために、あちこちに吹きだまりがある。前方に、1台の乗用車がその吹きだまりに突っ込み、もがいている。亀になった註1

ようだ。50男も以前同じ体験をしている。その時は通りがかった4輪駆動車がロープで引っ張ってくれた。50男はもがいている乗用車の後ろに軽トラを止めた。ダウンジャケットを着た30そこそこと思われる男が車から降りてきた。
「どうした?」50男が尋ねた。「亀になってしまった。」50男は乗用車の下をのぞき込んでみた。車の下に大量の雪を抱えている。船なら暗礁に乗り上げたのと同じ事だ。若い男はさかんにエンジンを吹かし脱出を試みるが暗礁に乗り上げた車は、タイヤが高速で空回りするだけで一向に動く様子がない。

「だめだなこれは、ロープはあるかい?」若い男はかぶりを振った。「スコップは?」やっぱり男は首を横に振る。50男は軽トラからスコップを降ろし、腹ばいになりながら乗用車の腹の下からがちがちに固まった雪を掻き出し始めた。なかなか作業がはかどらない。若い男は黙ってダウンジャケットの襟を立てながらその様子を眺めている。50男は手袋をしていない。若い頃むちゃをして軽い凍傷にかかって以来、指先が血行不良になっていた。汗をかくほど身体は温かいが、寒さで指先の感覚がだんだんだ無くなってきた。若い男は車の中から缶コーヒーをとりだし飲み始めた。何度も時計を見る。小さな声で「時間がないな」と言った。50男は「トラックにもう一つスコップがあるよ」と言いかけたがやめた。
50男は「にいちゃん、俺も時間がないから・・・」次のことばを発するまでわざと間をおく。若い男に不安気な表情が漂う。「俺も時間が無いから、行くわ」
「エッ」と一言発したまま若い男は固まってしまった。若い男に一瞥をくれた凍傷男はニコッと笑って言った。「にいちゃん、心配するなよ!春になれば・・ 雪も融けて・・亀からの脱出だ。もう少しそこにつったっていれば」 


註1 雪国では上記のような様を亀に擬えて 亀になると言う。
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家を一歩出るとこんな風景が広がる。

11月ももうじき終わろうとしているのに記事の更新を1回もしていない。決してサボっていた訳ではない。更新のできない深い理由があったからだ。 11月ともなると、鮮やかに色付いた木々の葉っぱも、ひらひらと舞い散り、枝元を離れ大地に吸い込まれていく。太陽の下、懸命に光合成で木々の命をつなぎ、地球上のあらゆる生物に酸素を供給し続けた役割を終え、潔く散っていく様を見ると、葉っぱの無念さを想い、もの悲しくも、哀れな気持ちが私を襲い、はらはらと涙がほほをつたう。大荒れでのたうち回っている海が目にはいると、「こいつらは一体何を怒っているのか?」と煩悶し、相変わらず儲からない「ume小間物工事店」の行く末を案じ、イチローの契約更改はどれ程の金額になるのかに余計な心配をし、山田洋行からむちゃくちゃな接待を受けていた守屋の脇の甘さに憤慨するよりは、危機管理のいい加減さにあきれる。千手観音のごとく根が四方に伸び、歩留まりの悪い「陸ワサビ」に心を痛め、テンポ良く進まない仕事にイライラが募る。冬の入り口11月はミミズの赤ん坊のように小さくヤワな心に重くのしかかる。訳の分からないゴタクを並べているうちに、ナント11月が終わろうとしている。「春よ、早く来い!と叫ぶにはまだ早すぎる。
ということで、久しぶりの更新だ。 今日は天気が良かったので、めい犬ウメと裏山へ散歩に出かけることにする。 11 005
家の前の風景。今日は穏やかな海で心が和む。 20071125181746.jpg
刈り取りの終わった田園風景。白く見えるのはたくあん用の干し大根。海からの季節風に晒された大根は良品干し大根になるが、需要が減って、生産量もわずかになった。

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茶色の風景と化した林に彩りを添える「ムラサキシキブ」残念ながら手ぶれだ。 20071125193816.jpg
枯れた杉ではない。枯らした杉である。せっかく植樹した杉だが切り出す費用がかかり、北洋材を購入した方が安いということで、邪魔者扱いを受け、皮を剥いて強制的に枯らし、根本に火をつけて処理する。天寿を全うすることも、建築材としての役割も果たせず、灰になるのを待っている。

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林道に佇むリンドウのつぼみ。これも手ぶれ。


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千手観音になった「陸わさび」
春に植えた「陸ワサビ」が食えるようになった。本ワサビより香りが良く、辛みと甘みが同居する。おひたしや白菜、野沢菜の漬け物の薬味として遣う。先日、テレビで小朝が「山ワサビ」として紹介していた。もみ海苔とワサビをご飯に載せ数滴の醤油を掛けて食らうのが好きだそうな。私はお茶漬けに添える。



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三日前の妙高山。すでに雪をたっぷりと蓄えている。どうじゃこの雄大さは。

やっとこさ映像のアップの仕方が分かったよ。

野菜の横綱 その2(食材今昔物語 魚篇)そして海にまつわる感動秘話

肉の次は魚の話。

いつもは「だ、ある調」で記事を書いている。意識的に先回は初めて「だ、ある。です、ます。」混合調で記事を書いてみたが、失敗したようなのでまた元に戻す。この歳になってもいろいろと新しい試みをするとはたいしたもんである、と言いたいところだが、要は何事においても型が定まらないと言う私の特質が出ただけのこと。


国道8号線を挟んで目の前はすぐに日本海、と言うところに住んでいるから、海は子供の頃からのお友達である。しかし、親友にはなれなかった。釣りもしたし、泳ぎもしたし、石投げもした。海に向かって「バカヤロー」と叫んでもみた。でも結局のところは親友と言うほど親しくはならなかった。釣りも、泳ぎも、石投げも、バカヤローもいつだって出来ると安易に考え、油断したのがいけなかったようだ。
海は歳をとらないが人間は歳をとる。半世紀以上も生きてきたオッさんが今更「バカヤロー」と言っても絵にならないし、50肩を抱えていては石投げも出来ない。だから、海に関して語るべきものがあまりないのだ。と、こんな風に言ってしまえば身も蓋もないので、一つだけ感動秘話をお届けする。この感動秘話はけっして人様に感動を与えるような、そんな類の話ではなく、私が感動した、と言う話であるから、ハンカチの用意はいらない。

私が高校1年生の頃の夏の話である。その日の暑さに耐えかねた私は珍しく海に向かった。「バカヤロー」を言うためにではない、どちらかというと、「バカヤロー」は色付いたモミジが葉を落とし、熊たちがそろそろ冬眠の準備を始める、木枯らしの吹くそんな頃合いが一番絵になる。経験上、私はそのことを知」っているから、この時は水浴びをするために海に向かったのである。いつもの砂浜」は準備を整えて私を待っていてくれた。さらに、歳の頃は16,7の美しい少女がストレートの長い髪の毛を潮風にたなびかせながら、まるで私が「いつもの砂浜」に来るのを知っているかのような風情を漂わせて佇んでいた、というのはウソで、砂浜と一緒に私を待っていてくれたのはフナムシと通称ヨコノミ(蚤の形に似たぴょんぴょん跳ぶ虫)だった。
妄想から抜け出た私はガッカリして、彼らには挨拶もせずに、すぐに海へ飛び込んだ。
「ひやぁぁ、きっもちいい」挨拶代わりにフナムシたちに叫んだ。

ひとしきり泳ぎ回った私もすぐに泳ぐことに飽きた。生来、私は何事にもすぐに飽きるのである。泳ぎを中止して、私は海に立った。気分転換の早い私は「早く家へ帰ってスイカを食おう」と思い、海の中を数歩歩いた。その時、足の裏に異物感を感じた。「??」私は石ころ状の異物を器用に足の指先を使って捉えた。異物は巻き貝だった。この海では見たこともない貝だった。アンモナイトである、というのはウソで、どうやらバイ貝(クロバイ)のようだ。早速家に持って帰った私は物知りのスイばあちゃんにその巻き貝を見せた。
ume「これなんだろうね。バイかな?」

スイ「おおこれは珍しい。明らかにバイだ。おれ(当時のばあちゃんの一人称はおれ)の子供の頃はいっぱいいたモンだが、もう何十年もみていない。これはどこで拾ってきた?

ume「細川大工さんの作業場の下の砂浜さ」

スイ「そうか、昔は、魚の頭をバイ篭に入れて採ったものだ」

ume「フーン、そのバイ篭ってウチにある?」

スイ「ないない、そんなものない。ウチには金もバイ篭もない」

ume「そうか」

と言ってその場を立ち去ろうとするume少年をスイばあちゃんは呼び止めた。

スイ「待て!」

ume「なんだよ」

スイ「バイは1個しかいなかったのか?」

ume「ああ」

スイ「でも、探せばまだいるかもしれないと思わないか?」

ume「思わない」

スイ「思え!」

ume「思わない」

スイ「思え!」

ume「思わない」
スイ「試しにざるの中に魚の頭を入れて海の中にしかけてみたらどうだ。」

ume「もういねーよ。一個しかいなかったんだから」

スイ「バカだね、おまえは。おまえが見つけたのはたった一個かもしれないけど、ひょっとして砂の中にまだ潜っているかもしれないだろう。クロバイは良い値がつくから、いっぱい獲れれば一儲けできるぞ」

一儲けにはあまり興味のなかったume少年はさらにその場を去ろうとした。

スイ「待て!待て、待て、待て!」

一儲けに執念を見せるスイばあちゃんはなかなか私を解放しない。

ume「その一個ばあちゃんにあげるから、早くスイカ切ってくれよ」

スイ「スイカは切ってやる。その代わりばあちゃんの言うことを聴け。」

スイばあちゃんというのは「杉」の話に登場した捨次じいちゃんの連れ合いである。じいちゃんは穏やかな人だったが、スイばあちゃんはなかなかの人である。

ume「わかったよ」
ume少年は観念して言うことを聴くことにした。その方が身のためであると判断したのである。あまり言うことを聴かないと鉄拳が飛んでくる危険があった。

結局、スイばあちゃんの執念に負けた私は、ざるの中に魚の頭を入れて、再び海に向かった。強欲のばあちゃんはナント私にざるを4個も渡してくれた。
いつもの砂浜に到着したら、先ほどのフナムシとヨコノミが懲りもせず私を待っていてくれたが髪の長い少女はいなかった。
私はスイばあちゃんの言ったとおりにざるの中に魚の頭と重し代わりの石ころをいれた。
家に帰った私はスイばあちゃんからスイカを切ってもらった。

スイ「たくさん獲れたら、俺とおまえで山分けにしよう。魚屋には話を付けてあるからな。今は良い値がついているそうだ。ウッシッシ」強欲独特の気持ちの悪い笑いをスイばあちゃんは浮かべた。知恵を授けただけで何もしないスイばあちゃんと山分けとは、割の合わない話であるが、仕方なく承伏した。

夜の9時に仕掛けをあげろとのスイばあちゃんの指令だったが、久しぶりに泳いで疲れた私は、いつの間にかうとうとしたようで、バイのことはすっかり忘れていた。

p.m9:00

スイ「ume起きろ!」

ume「うるせぇな、なんだよ」

スイ「行ってこい、海へざるを見に行ってこい」

ume「明日にする」
スイ「バカ、明日じゃダメだ。みんな逃げてしまう。本物のバイ篭なら、バイは逃げられないが、ざるだから、えさを食ったらみんな逃げてしまう」
仕方なく私は重い腰を上げた。

いつもの砂浜に到着したものの、ほとんどバイ捕獲に期待感がなかった私は義務だけは果たそうと海の中に足を入れた。ひんやりと気持ちが良い感触だった。
先ほどざるを仕掛けておいた所を覗いてみたが、仕掛けておいたはずのざるが見あたらない。赤とか青のハデな色のざるだから見失うはずはないのだが、私の目には見えない。流されてしまったのかと思い、早々とざるのことを諦めた私は帰途につくべく、踵を返した。「ン?」夕方にはなかったはずの大きな石ころが、ざるの置いてあった場所にある。可笑しいと思ってよく観察するために目を近づけた。
その目に飛び込んできたのは、バイ貝がざるから溢れ、小山のように盛り上がった姿だった。大きな石ころに見えたのはバイ貝の大きな固まりだったのである。四つのざるすべてが同じ状態だった。期待していなかっただけに、この黒い大きな固まりを見た時の感動は例えようもなかった。そうなんです。私の海がらみの感動秘話とはこれだったのです。ほら、ハンカチはいらなかったでしょう。

収穫を抱えた私は私は意気揚々と家に引き上げた。スイばあちゃんの喜ぶ顔が目に浮かぶ。
収穫の報告をするとスイばあちゃんは、案の定大喜びした。
「でかした。でかした」スイばあちゃんは私を褒めちぎった。スイばあちゃんにほめられたのは生まれて初めてのことだった。
スイ「ほらね、年寄りの言うことは聴くモンだろう」と自分自身の判断力の良さを自画自賛し始めた。

スイ「明日、早速、佐次平(佐平次ではない)魚屋に買ってもらおう」

ume「頼んだよ、ばあちゃん」





不思議なことに、バイが獲れたのはその時だけで、味を占めて、その後も何度か仕掛けを続けたのに、収穫があったのはそのときだけだった。どういうことか今でもよく分からない

以後40年間「いつもの砂浜」でバイを見ることはなくなった。私がすべてを取り尽くしてしまったのであろうか。郷土の砂浜からバイを絶滅させたのは私だったのであろうか。


もう一つなくなったものがある。バイの売上金である。翌日スイばあちゃんは佐次平魚屋にバイを売ったのであるが、分け前の金が私の所に届かない。遠慮深いume少年はそのことを問い質すこともないまま20年後、スイばあちゃんも失ってしまった。


食材としての魚に話題が及ばないまま本日の記事はおしまい。

続きはまた次回。




続く

中越沖地震レポート

●今日、震災後初めて柏崎市に行ってきた。実を言うと、近くに住んでいながら、テレビで流れるニュース以上の情報の持ち合わせは、私にはなかった。今日の柏崎行きは震災がらみの仕事で、私が足を踏み入れた地区は特に被害の大きかった地区ではなかったようだが、それでも、倒壊した家々がここ彼処に見受けられ、屋根の上の青いシートが目立つ。休憩時間を利用して、少し近所を歩いてみた。一見、家屋に何の損傷も見られない家でも「要注意」の張り紙が貼ってあった。いぶかしげに、しばらく眺めていたら、近所の住民が教えてくれた。「液状化現象」のせいで地盤沈下したために、家がかなり傾いているのが「要注意」の理由で、足元を見れば、その時吹き出した堆積物がまだかなり残っていた。聞くところによれば、土砂が激しく噴水のように吹き上げたのだそうで、新しい家も古い家も差別なく被害を受けていた。これを元通りにするには大変な費用がかかる。しかも、元々地盤の悪い場所と言うことを考えると、仮に復旧しても、いつ何時また地震が襲ってくるか分からないのだから、住民としてはやりきれない思いに駆られるはずだ。

●ライフライン完全復活まではほど遠い状態の中、全国各地から駆けつけたガス会社、水道局、その協力会社が必死にガス水道管の復旧作業をしていた。いかにも頼もしげで、力強い作業風景であった。技術を要する作業だけに誰でもと言うわけにはいかない。これだけの数の救援部隊が柏崎に集結した姿を見ると、ニッポンまだ捨てたものではないぞと思った。

●夏休みに入ったので子供達が元気に走り回っていた。子供達は大人達のように深刻に事態を受け止めていないのだろうが、子供達の元気な姿が町に活気を与えていた。極楽トンボと言ってしまえばそれまでだが、「おまえ達がこれから良い町に作り替えていかなければならないのだ、今のうちの遊んでおけよ」と、saheiziさんじゃないけど、背中で語りかけてみた。

●町が落ち着いてきたら是非柏崎に来てもらいたい。なぜか柏崎は妙なものをコレクションにするコレクターが多い町で、「柏崎コレクションビレッジ」には、「とんち教室」でお馴染みの石黒敬七旦那の「トンチン館」を始めとする逸品珍品のコレクションが多数展示されている。なかなか見応えのあるスポットだ。

●試算によれば一兆超えの損害があった模様で、町の復興には莫大な費用と不屈の精神が必要だ。さてこれからどうするか、ニッポンが試されるときである。


地震お見舞いありがとうございました

先回の記事で「しばらくお休みいたします」とお知らせしたのだが、昨日、当地方を襲った地震に対してブログ友達から「地震お見舞い」のコメントをいただいた。空き家のままではお見舞いの方々に失礼にもなるので、急遽雨戸を開けてお礼の言葉を。


いろいろご心配をおかけしましたが、我が家及び当地域は幸いにも、今回の地震の被害は軽微なもので済んだことをまずご報告いたします。ご心配いただきどうもありがとうございました。しかし、お隣の柏崎市では大きな被害が出て、死者も多数にのぼります。紙一重の運、不運を考えると胸中複雑なものもあります。突然襲ってくる天災は防ぎようもないのですが、これを機会に被害を最小限にくいとめるための手だてを日頃から考えておくことをお勧めいたします。


新潟県は上越(上越市、妙高市、糸魚川市など)、中越(長岡市、柏崎市など)、下越(新潟市など)の3地方に区分されるのですが、地図上では一番上の方(東)が下越で、一番下の方(西)が上越となります。ちょっとややこしいのですが、都(京都)に近い方から順番に上越、中越、下越と言うことになります。同じ理由で北陸線も直江津から米原に向かう(地図上では下る)のが上り。ちなみに、上越新幹線の上越は上州(群馬県)と越後を結ぶから上越で、我が上越市には乗り入れていません。
今回の地震でもっとも被害の大きいかった柏崎市から、私の住まいまではわずか30~40kmほどしか離れていないにもかかわらず、当地域は小さな崖崩れを除いては被害らしい被害も受けませんでした。震源地がもう少しずれていれば、逆の立場になったかもしれません。今回を含めて私は過去三回の大きな地震を経験しています。1964年の「新潟地震」、2004年の「中越地震」、そして、今回の「中越沖地震」。04年の地震も今回の地震も私はたまたま外にいたので揺れに対する強烈な印象がありません。しかも道路状況が悪く被災地まで行くことも出来ないので、ニュース以上の情報も持ち合わせていません。落ち着いたところで、改めて「地震レポート」を記したいと思います。
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